最終日の朝は豪勢な朝食を頂き(またまた食べきれず)、部屋風呂に入ったり露天風呂に入ったりしてお宿を満喫。

10時半頃にチェックアウトして高速に乗り、奥州市にある「えさし藤原の郷」に向かいました。
奥州市江刺は藤原清衡が平泉に移る前に住んでいた場所だそうです。
パーク内は、平安時代の平泉の建物が再現されていました。

政庁
伽羅御所
伽羅御所の庭
元々が大河ドラマのロケ用に作られて、それをテーマパーク化したそうです。
歴代の大河ドラマのロケ等にもよく使われていて、私たちが行った時も何かのロケの片付け作業が行われていました。
伽羅御所は秀衡の屋敷なので、義経や弁慶はまさにこんな建物に出入りしていたのねぇと思いつつ……
でも作り物のせいか、感傷みたいなものはわかなかったですね。
平安装束を着られる(無料だけど完全セルフサービスw)コーナーがあって、すいていたので私たちの貸切り状態。夫とふたりでゲラゲラ笑いながら平安貴族ごっこしました(笑)
平泉に戻って、前日行けなかった無量光院
跡に行きました。

宇治の平等院を模した立派な寺院があった場所。
今は池のようにしか見えません。
でも再現された建物よりも、何も無くなってしまった跡地の方が、切ないようななんとも言えない気持ちになりました。
一ノ関方面に車を走らせ、達谷窟毘沙門堂(写真左)と厳美渓(写真右)へ。

その後、残りわずかな時間で骨寺村荘園遺跡(中尊寺の荘園だった一帯)の入り口まで辿り着いたものの、こちらはゆっくりとは滞在できず。
資料館をざっと見せて頂き、また来たいなと後ろ髪を引かれながら一ノ関駅へ。
レンタカーを返し、新幹線で帰京しました。
たった二泊三日でしたが、東京に戻ってからもしばらく平泉を引きずっていました。
900年前には京の都に匹敵するほどの街が確かにあった場所。
でも今はほとんど残っていない。
諸行無常、盛者必衰。
自然豊かで、黄金色の田んぼが広がりトンボが飛び交う景色。
心癒される。
でも自然は、地震や津波という恐ろしい面を見せてこの地を襲った。
人間はその巨大な力には敵わなくて、でも立ち直る根性があって。
それなのに人間同士、身内同士で命を奪い合って……900年前も今も。
なんなんだろうなぁ。
うまく言えないけど、色んなことを感じて考えさせられる場所でした。

10時半頃にチェックアウトして高速に乗り、奥州市にある「えさし藤原の郷」に向かいました。
奥州市江刺は藤原清衡が平泉に移る前に住んでいた場所だそうです。
パーク内は、平安時代の平泉の建物が再現されていました。

政庁
伽羅御所
伽羅御所の庭
元々が大河ドラマのロケ用に作られて、それをテーマパーク化したそうです。
歴代の大河ドラマのロケ等にもよく使われていて、私たちが行った時も何かのロケの片付け作業が行われていました。
伽羅御所は秀衡の屋敷なので、義経や弁慶はまさにこんな建物に出入りしていたのねぇと思いつつ……
でも作り物のせいか、感傷みたいなものはわかなかったですね。
平安装束を着られる(無料だけど完全セルフサービスw)コーナーがあって、すいていたので私たちの貸切り状態。夫とふたりでゲラゲラ笑いながら平安貴族ごっこしました(笑)
平泉に戻って、前日行けなかった無量光院
跡に行きました。

宇治の平等院を模した立派な寺院があった場所。
今は池のようにしか見えません。
でも再現された建物よりも、何も無くなってしまった跡地の方が、切ないようななんとも言えない気持ちになりました。
一ノ関方面に車を走らせ、達谷窟毘沙門堂(写真左)と厳美渓(写真右)へ。

その後、残りわずかな時間で骨寺村荘園遺跡(中尊寺の荘園だった一帯)の入り口まで辿り着いたものの、こちらはゆっくりとは滞在できず。
資料館をざっと見せて頂き、また来たいなと後ろ髪を引かれながら一ノ関駅へ。
レンタカーを返し、新幹線で帰京しました。
たった二泊三日でしたが、東京に戻ってからもしばらく平泉を引きずっていました。
900年前には京の都に匹敵するほどの街が確かにあった場所。
でも今はほとんど残っていない。
諸行無常、盛者必衰。
自然豊かで、黄金色の田んぼが広がりトンボが飛び交う景色。
心癒される。
でも自然は、地震や津波という恐ろしい面を見せてこの地を襲った。
人間はその巨大な力には敵わなくて、でも立ち直る根性があって。
それなのに人間同士、身内同士で命を奪い合って……900年前も今も。
なんなんだろうなぁ。
うまく言えないけど、色んなことを感じて考えさせられる場所でした。