9/15、石巻から松島に戻ってチェックインした後
宿から軽く散歩に出ました。

福浦島
赤い福浦橋は通行料200円
地図を見ると結構広そうな島だったので、渡るのは翌日にすることにしました。

岸壁にはまだ震災の跡…

五大堂

「千社札厳禁」の立て札!
そういえば以前来たときは千社札がべたべた貼られてた気がする(^_^;)

翌朝、宿の露天風呂から眺める海…
こんなに穏やかなのにね

チェックアウト後、遊覧船乗り場へ

9:30出発

鐘島

カモメも同行

仁王島
260余の島の中には、チリ地震の津波
そして311の地震と津波で崩れたところも多いそうです。

壊滅した牡蠣の養殖棚も、何割かは復旧したとのこと
前夜にいただきましたが美味しかったです(*^^*)
そしておよそ50分後に船着き場に戻ってきた時は、乗船を待つ人で長蛇の列でした。
早めの便にして正解!
瑞巌寺は以前に行ったことがあったので、今回はお隣にある円通院に。

枯山水のお庭がきれい

秋の紅葉時にはライトアップされるそうです
通称バラ寺…
その意味を知るとまた興味深い。
最後に、前日行き損ねた福浦島へ



穏やかな海
あまり人間をいじめないで下さいね。
21時にレンタカー返却予定だったので、少々早めと思いつつ13:30頃に松島を出発。
当初ナビは19:00目的地到着を示していました。
が…
事故渋滞に巻き込まれ、自宅に着いた時には22:30を過ぎていました。
9時間ドライブ、さすがに疲れましたぁ(^_^;)
私も4分の1くらいは運転しましたが、旦那に感謝!
円通院を案内してくれたおじさんが言っていました。
津波で流され、まだ2000人以上が行方不明のまま。
たとえ見つかっても五体満足なはずはなく、浜辺に骨が1本流れ着いて調べたら誰々さんだった…というのが現実。
3/11が来たら思い出して祈ってあげて欲しい、と。
あと「もし車で松島に来たなら、ぜひ被災地を見に行って欲しい」とも言っていました。
それは物見遊山ということではなく、津波の驚異を実際に見て感じて、次に必ず来ると言われている南海トラフ地震に備えて欲しい…という願いでした。
本当に、私たち一人一人がきちんと考えて次の震災に備えないといけないと思います。
被災した方たちの無念や努力を無駄にしないためにも。
そして、まだまだ東北への思いをKEEP ONしなきゃいけないと感じました。
旦那も「またお手伝い出来そうなボランティアがあったら行こう」と言ってくれたので、長いスパンで考えて無理しないように行けたらいいなと考えています。
宿から軽く散歩に出ました。

福浦島
赤い福浦橋は通行料200円
地図を見ると結構広そうな島だったので、渡るのは翌日にすることにしました。

岸壁にはまだ震災の跡…

五大堂

「千社札厳禁」の立て札!
そういえば以前来たときは千社札がべたべた貼られてた気がする(^_^;)

翌朝、宿の露天風呂から眺める海…
こんなに穏やかなのにね

チェックアウト後、遊覧船乗り場へ

9:30出発

鐘島

カモメも同行

仁王島
260余の島の中には、チリ地震の津波
そして311の地震と津波で崩れたところも多いそうです。

壊滅した牡蠣の養殖棚も、何割かは復旧したとのこと
前夜にいただきましたが美味しかったです(*^^*)
そしておよそ50分後に船着き場に戻ってきた時は、乗船を待つ人で長蛇の列でした。
早めの便にして正解!
瑞巌寺は以前に行ったことがあったので、今回はお隣にある円通院に。

枯山水のお庭がきれい

秋の紅葉時にはライトアップされるそうです
通称バラ寺…
その意味を知るとまた興味深い。
最後に、前日行き損ねた福浦島へ



穏やかな海
あまり人間をいじめないで下さいね。
21時にレンタカー返却予定だったので、少々早めと思いつつ13:30頃に松島を出発。
当初ナビは19:00目的地到着を示していました。
が…
事故渋滞に巻き込まれ、自宅に着いた時には22:30を過ぎていました。
9時間ドライブ、さすがに疲れましたぁ(^_^;)
私も4分の1くらいは運転しましたが、旦那に感謝!
円通院を案内してくれたおじさんが言っていました。
津波で流され、まだ2000人以上が行方不明のまま。
たとえ見つかっても五体満足なはずはなく、浜辺に骨が1本流れ着いて調べたら誰々さんだった…というのが現実。
3/11が来たら思い出して祈ってあげて欲しい、と。
あと「もし車で松島に来たなら、ぜひ被災地を見に行って欲しい」とも言っていました。
それは物見遊山ということではなく、津波の驚異を実際に見て感じて、次に必ず来ると言われている南海トラフ地震に備えて欲しい…という願いでした。
本当に、私たち一人一人がきちんと考えて次の震災に備えないといけないと思います。
被災した方たちの無念や努力を無駄にしないためにも。
そして、まだまだ東北への思いをKEEP ONしなきゃいけないと感じました。
旦那も「またお手伝い出来そうなボランティアがあったら行こう」と言ってくれたので、長いスパンで考えて無理しないように行けたらいいなと考えています。