ふと思ったシリーズ。
投げる人には、受ける相手が要る。
でも、受けてばかりのエネルギーは、やがて飽和してパンクする。
野球を志す少年にとって、ピッチャーは憧れ。
どうせ野球をやるなら、ピッチャーが良いに決まってる、と思う。
野手が不要なポジションだとか、そんな事を言うつもりはもちろんないけれど、でもそういうものじゃない?って普通に。
なんというか、出来得る限り冷静で客観性を保って眺めても、事実は厳然としてそこに在るものであって
むしろ客観的に俯瞰するからこそ、そこには願望や思い込みは差し挟める余地がない。
嘘はつけないし、つきたくない。
ピッチャー以外のポジションなんて、、
それってどうしても僻みにしか聞こえない。
でもやっぱり、野球をやるならピッチャーがよくない?
そう、思っちゃう訳です。
でもさ。
ピッチャーにはキャッチャーが必要。
受ける相手がいなけりゃ、放った球はどこかへ行ったきり。
キャッチャーがいるから、ピッチャーは成り立つんだよね。
こんな、当たり前のようで自己満足のようななぐさめのような言い草に寄りかかりたい訳ではないけど、これも又やはり事実。
憧れにまかせてボールの主導権を握ろうとした事もあるけれど、半世紀生きたいま、キャッチャーだけが知る醍醐味みたいなものにようやく満足し始めています。
時間かかったなぁ(笑)