こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
栗ご飯をつくりました。
栗の皮むきで指の皮がむけています。
おいしいものを食べるための、それなりのリスク?
絆創膏を貼って、今日も栗剥きをがんばります。
本日家族史の話です。
今年母が亡くなった。
お葬式やお世話になっていた施設の後始末、各種手続きは早い段階で終わっていたものの。
自身の身の回りにも変化があったため、必要最低限のことだけ終えてあとは放置していた。
自分のことで手一杯だったのは本当だが、数年にわたるサポート生活で気持ちが疲れていた。
両親は病院や施設にお世話になっていたので、付きっ切りの介護生活ではなかった。
その点では、受入れ先があったこと、手厚く見て頂けたことをとても感謝している。
一方で、存命中及び葬儀後の後始末まで一手に引き受けたことに違和感はある。
後悔はないものの、兄弟が戦力になることはなかった。
誰かがやってくれるだろう、やってくれた、で終わり。
口では感謝しているとは言われたが、何を感謝しているのかは不明。
それというのも、親のサポートで何をしたのかさえ知らないのだから。
親の老後の準備は親自身がするのは当たり前だ。
そうでなければ、子の人生が変わってしまう。
離職したり、子の家族がバラバラになったり、兄弟間で仲が悪くなったり、相続でなく争続になったり。
親が元気なうちに、子供たちが集まったタイミングでよく話しておくことが大事だと思う。
サポートが必要になるタイミングや状態は、そのときにならないとわからないが、それも親の愛と思って準備したいものだ。
それと同時に、親は家族の歴史をきちんと子に伝える必要があると思う。
残念なことに、ぶどうさんには祖父母がいない。
祖父母がどんな人たちだったのか、わからずにいる。
戸籍を見れば名前はわかるし、生年月日もわかる。
けれど、そもそもどこの人でなぜそこにいて、両親の親になったのかなどまったくわからない。
自分のルーツが辿れないのだ。
ちなみに両親も、自身の親のことをよく知らない。
なんだそれ。
若いころは自分のルーツに興味をいだいたが、アラカンとなった今、もうどうでもよくなった。
わからないものはわからないのだ。
ところが先日。
母の死後の片付けの仕上げをした後、兄から電話がかかってきた。
なんでも、父の生まれ故郷に行っていろいろ見てきたいとのことだった。
今更何を知りたいのかは不明だが、誰しもそういうときが人生にはある。
父について聞かれるまま答えていたが、どうやらその話は兄にとっては初耳だったようだ。
その内容は父が秘密にしていたわけではなく、ぶどうさんの夫でさえ知っていることだったので、知らないことに驚いた。
父と兄はあまり話をしなかったのだろう。
基本的な家族史を共有していなかったのだ。
望んで核家族になったわけではないけれど、祖父母がいないことで、家族史を伝えにくくしたのだろう。
兄弟全員アラカンになってやっと、それが露呈するなんて。
人はだれしも、自分がだれなのか知る権利がある。
知りたくなければそれでもいいが、そうなると、次の世代になにもつたわらない。
小さなことでもいい、短い時間でもいい。
家族の歴史を知ろう。
家族やご先祖様に興味を持ち、話をすることで、つながりを保とう。
今ここにあるのは、誰かのおかげだ。
誰かのおかげで、自分があって、それをつなげていく。
温かい気持ちになれるつながりがあれば、世の中はもっと良くなるのではと思うぶどうであった。