こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
家庭菜園で唐辛子を収穫しました。
一株なのに、かなりの量です。
唐辛子の実がなる姿は美しいです。
ただ・・・そのままでは食べられませんねえ。
どうしよう。
本日お盆休みのお話です。
カレンダーの関係で思いのほか長かったお盆休み。
毎年ブツ切れだったのに、丸々一週間もお休みになってしまった。
ああ疲れた・・・(心の声)
休みとなれば超早起きせずに済むものの、夫と歩調を合わせなければならないので生活のリズムがおかしくなる。
休みでも早く寝て早く起きて疲れたら昼寝をしたいぶどうさんと、夜更かしでいつまでも寝て昼寝をしたくない夫。
合わない。
老後が思いやられる。
そうおもっていたら、このお盆休みはまあまあ早起きしてくれた。
毎日何かと小さな用事があったためだ。
小さな用事とは、住んでいるところから3キロ以内で済む買い物だとか、病院だとか、運動だとか。
長いお休みなのに、どこにも行っていないともいえる。
それがちょっとだけ不思議な気持ちであった。
若いころから連休ともなれば帰省していたし、両親の晩年にはかなりの頻度でサポートを兼ね帰っていた。
数年前父を見送り実家をなくし、今年施設にいた母を見送った。
もう故郷へ行くことはないし、その必要がなくなった。
早めに出発しても4時間近くかかる道中、施設につく頃には太陽が上がり切り、帰るころには暑さの残る中、日が沈むのを見ながら家路を急ぐ。
おやすみは、自分たちのためではなく親のために使うことが多かった。
それはまだ完全には終わっていないけれど、一区切りした。
お盆のぎらぎらする太陽の中長いドライブをする必要がなくなったのだと、安堵するとともに親の死を実感した。
体力を消耗するだけの帰省でも乗り越えられたのは、若さ故だろう。
アラカンになった今、とてもじゃないけれど同じことはできない。
親の直接介護をしている人は、日々24時間気を抜けない生活をされている。
それに比べ遠距離でサポートしている人は楽に思われるだろうが。
時間や労力、お金はそれなりにかかる。
親が年を取っていれば、子も年を取っている。
体力は確実に奪われるのだから、遠距離サポートにも結構な負担はある。
メンタルも削られる。
きょうだいから理解も評価もされないことで、やるせなさを感じる。
老親の世話など、親から頼まれても兄弟から頼まれても、安易に引き受けないことだと思う。
まずは当人で準備、実子で分担が理想だ。
だれか一人だけで抱え込むのは、辞めた方がいい。
・・・・今更だけど。
お盆休みは長かったが、相変わらず不調のまま、また日常が戻ってきた。
北国からやっとこさ帰ってきて10年以上にわたるサポート生活に疲れていたのだろう。
知らぬ間に年を取り、自身の老いが加わって疲れが積み増されているようだ。
けれど!
人生100年時代だもの、アラカンならまだ先は長い。
今日が一番若い日とし、目の前のことを頑張ってやろうと思いなおすぶどうであった。
介護やサポートをしているみなさま、おつかれさまです。
一人で抱え込まず、身内とシェアしたり相談できるところを見つけて心と体を守ってくださいね。