こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

今朝庭のゴミを拾うついでに鉢の植物見たら、茶色い茎がついていました。

 

不思議なゴミ、と思って取ろうとしたら。

 

ヤモリの赤ちゃんでした。

 

生きている茎!???・・・・・・・ひ~。

 

後で調べたら、ヤモリではなくカナヘビのよう。

 

ぶどうさんは驚きましたが、カナヘビを驚かせなくてよかったです。

 

 

 

本日見返りのお話です。

 

毎日ひとつ捨てる生活を続けるぶどうさん。

 

最近ちょっと気になることがあった。

 

友人とのラインで、なにやら行き違いがあったのでは、と思う出来事があり・・。

 

しばらくは「はて?」と思い、成り行きを見守っていた。

 

けれどそれ以降、相手のなんの反応もなく時は過ぎている。

 

悶々とまではいかなくとも、引っかかる。

 

なにか気に障ったのかしら。

 

良かれと思ってやったことが、機嫌を損ねてしまったのだろうか。

 

ぶどうさんの悪い癖、気にしいが始まった。

 

幸いほかにも考えることがあったので、そのまま放置することにした。

 

良かれと思ってやることって、ロクなことがない。

 

案外、的を大幅に外していることが多いのだ。

 

静観していればよかったと、少しばかり後悔した。

 

ただ、忙しさにかまけて放置するのがよかったようで、時間が少しずつ考えを整理してくれた。

 

冒頭の友人は、同じ習い事仲間だ。

 

長いこと一緒に学んできた、大切な同志でもある。

 

習い事を通じてのみの付き合いであることも確かで、おそらく習い事なしで出会うことはなく、習い事を辞めたらそれまでだ。

 

それくらいの人なのだ。・・・・とは、思わない。

 

他生の縁のあった人なので、これからも大切な仲間だけれど、かといってご機嫌を取る必要などないことに気が付いた。

 

失礼があったら謝るけれど、そうでなかったら、そのままでいいのだ。

 

仲間は大切にしたいし、仲良くしたい。

 

でも気に病むほど自分を責めたり、相手の気分を推し量ったりや機嫌を取る必要なんて全くない。

 

機嫌は自分でとるものだから。

 

それにしても、なんで今まで気が付かなかったんだろう。

 

気にしいが染みついているのは、暇だからだろうか。

 

誰にでも、いい人と思われたいからだろうか。

 

立派な人であり褒められたいと思う、いわゆる承認欲求の塊なのだろうか。

 

つらつらと考えたところ、ぜんぶ合っているようで、全然違う気がした。

 

おそらく、見返りを求めていたのだろう。

 

見返りといっても、いろいろある。

 

お金やモノや好意や同情、評価など対人関係や場面によって変わってくる。

 

ぶどうさんの気にしいの正体は、相手からなにか見返りを手に入れたら安心する、いわゆる欲しがり、欲張りだったのだ。

 

なあんだ。

 

肩透かしにあった気分になった。

 

自分が欲しいものを得るために、無駄なエネルギーを使っていたことになる。

 

いや、それって欲しいものなのかどうかは怪しい。

 

ただ何かを分捕りたいという、あさましい根性でもある。

 

本当に欲しいものは他人から得られるのではなく、自分で手に入れなければならない。

 

それに残念ながらほしいものが必ずしも手に入るわけでもない。

 

他人と同じものは手に入らなくとも、案外違う宝を持っていたりするものだし。

 

そう考えると、今まで悲しかったことや許せなかったことの解決の糸口が見えてきた。

 

見返り、捨てましょ。

 

相手への期待も、捨てましょ。

 

捨てることを意識するって、案外大事なことだった。

 

一つ捨てる生活をするといっても、モノだけにフォーカスする必要はなかったのである。

 

カウントはしないけど。

 

この気づきのおかげで、停滞していた案件をスムーズに解決できそうな気がしてきたぶどうであった。