こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

湿度が高いせいか、玄関前に大きなナメクジがいました。

 

ヤモリもいて、とんでもなく大きかった。

 

地面が近いところの生き物は大きくなるんでしょうか・・・

 

 

本日YDKってのお話です。

 

 

流れるパソコンの広告をみていたぶどうさん。

 

とある塾?かなんかの宣伝で、YDKという文字が。

 

やればできる子、という意味らしい。

 

ほほう。

 

やってもできない子も同じYDKな気はするが、なるほど、やればできる子。

 

(・∀・)イイネ!!!

 

これが一般的な言葉なのかと調べたら、YDKという会社名が多かった。

 

やればできる会社ともとれる。

 

なるほど。素晴らしい。

 

話を戻そう。

 

この「やればできる子」の考え方は、他人目線だ。

 

親や年長者、先生。

 

その人たちが、対象者(子)の力を信じて見守る姿勢というか。

 

期待もあるんだろうな。

 

子供を伸ばす方向に行けばいいが、中には過度に思いを込めすぎて重圧になることもあるだろう。

 

愛は愛なんだろうが、そうなると辛いね。

 

ぶどうさんはYDKな考えを親からされたことがない。

 

放任といえば聞こえはいいが、今から考えると期待するほどの子供ではなかったということだろう。

 

親の絶対的な信頼がなかったせいか、自己肯定感や自身を信じる力が弱い。

 

本当に信頼がなかったのだろうかと思うことはある。

 

すでに両親はあちらの世界に行ってしまったので、確認のしようがない。

 

アラカンにもなって親のせいにしては恥ずかしいが、やればできる子という文言が気になった。

 

でも。

 

しばらくして親がどう思っていたのかは関係なかったと気が付いた。

 

YDKは他人目線の言葉ではなかったのだ。

 

やればできる子。

 

これは自分が信じればいいことだったのだ。

 

「子」はとっくに卒業して、おばちゃんだけど(笑)

 

信じる力が弱いから周りの空気に押されて凹んだり、ピアノの練習の成果を出せなかったりするのだ。

 

実力以上にできないのは当たり前、完璧でなくとも、やったところまでやり切る!

 

そんな力を持とうと思う。

 

やればできる子。

 

アラカンにしてその言葉は変だし、やれば、なんてモタモタしてたら人生が終わる。

 

やるからできるおばちゃん、YDO(笑)であると信じること、その努力をすること。

 

それが、十分大人になったものの努めだ。

 

やるからできるおばちゃん。

 

そんな自分をイメージして、ピアノだけでなく人生の課題に取り組もうと決めたぶどうであった。

 

よろしかったら皆様もご一緒に♪