こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
買い物に行ったらセルフレジが登場していました。
普通のレジが混んでいたのでそちらを選択しましたが。
並んででも普通のレジが早かったような。
変わっていく世の中についていくのは大変ですねえ。
本日あおやまのお話です。
終の住処と定めたところで暮らすことにしたぶどうさん。
死ぬまで元気で自力で暮らせる家であるようにと、できる範囲内で場所と家のつくりを選んだ。
場所は駅からタクシーで1000円以内、徒歩圏内にスーパーがあって、災害危険区域外であること。
家は平屋で、コンパクトな大きさであること。
予算に限りがあるので、小さな土地に小さな家なだけ、か。
選んだところは、縁もゆかりもないところだ。
若いころから転々と住む場所をかえており故郷に実家はないので、アラカンでやっと住む場所を定めた。
これから数十年かけて暮らして、根を下ろすことになるのだろう。
子供がいないし、ほかに身寄りはないので終の住処となったこの場所に骨をうずめることになるのだろうか。
骨をうずめる場所を、青山(せいざん)というらしい。
そのまま読めば、アオヤマだけど(笑)
けれど、終の住処=青山とは必ずしもならないのだと今更ながら気が付いた。
この冬母が亡くなった。
父は5年前に亡くなっている。
両親とも、老いて施設や病院に入所するまでは自宅で暮らした。
父が40台半ばで建てた家に50年近く住み、まさに終の住処であった。
父は若いころお墓の権利を購入していたが、そこは遠く不便だった。
子供たちの誰も行けそうにないので、生前諦めてもらった。
数十年払い続けたお金がパーである。
お墓は結局他の兄弟が購入した家の近くに買うことになった。
近いほうがたびたびお墓参りに行けるから、という理由で。
大変ありがたいし、感謝である。
ぶどうさんたちにはそこは遠すぎるが。
両親が生きていたころにお世話したので、亡くなってからは他の兄弟にお願いしたらいいと割り切った。
両親の落ち着き場所ができてよかったが、よく考えたらそこは両親にとっては縁もゆかりもない場所だった。
こんな遠くに連れてこられて骨を埋めるとは、とびっくりしているに違いない。
終の住処のあるところ=青山とは限らないのだ。
まあでも、誰かが来てくれるから寂しくはないよね。
まだまだこれから数十年は元気で長生きするつもりのぶどうさん夫婦。
人生100年時代だから、アラカンにはながい時間がある。
アオヤマをうんぬんするのはまだ先でいいけれど、この土地に根を下ろしてしっかり生きていこうと思うぶどうであった。