おはようございます。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

今朝いいね!を押したら連続77をゲットしました。

 

お礼と激励のつもりが、逆にうれしさをもらっちゃいました。

 

うふふ。

 

みなさまいつもありがとうございます。

 

 

本日気楽にのお話です。

 

ブログを書き始めたぶどうさん。

 

突然内容が飛んでしまった。

 

ボーゼン。

 

落ち着いて画面を見たら!

 

白枠の外右上に⤵⤴(向きは逆)があるでないの!

 

元に戻りました~。ご存じの方が多いと思われますが、ピンチになったらお試しください。

 

 

本題。

 

今朝パソコンを開けたところ、小林愛実さんのインタビュー記事を発見した。

 

ご結婚と出産後、メディア出演やインタビューをいくつかこなされているとは聞いていた。

 

ファンというわけではないが、どんな方かは気になる。

 

それというのも。

 

以前YouTube番組でピアノの演奏を探していた時、幼少期の彼女の演奏動画を見たからだ。

 

まだ小学生なのに、オーケストラの前でショパンの即興曲を軽やかに弾いていた。

 

大好きでいつか弾いてみたい曲の一つだったので、ついつい熱心に見てしまった。

 

そしてあんな小さな体と手なのに、どうやって弾いているんだろう?すごいなあと感心した。

 

ニュース記事では、幼少期の葛藤やピアノを続ける道程での心の変化をかいつまんで紹介していた。

 

紙面というか掲載の都合で、あくまでざっくり。

 

(まだご覧になってない方は、ぜひ探してみてくださいね)

 

まだ十分に若い彼女だがその長い経歴の中では小さな迷いが生じ、自身の気づきが本筋に引き戻してくれたようだった。

 

特に印象深いのが、「これからは誰かのためじゃなくて自分のためにピアノを弾きます」という言葉だ。

 

(この言葉だけを取り出すと勘違いするので、記事をよく読んでくださいね)

 

迷いの後音楽に再び向き合い、自身が演奏が好きだと気が付いて、音楽との心の向き合い方を言ったのだろう。

 

高みを目指して、高みに登り始めて、頂上チャレンジをしている人の重みのある言葉で、それ以後の決意の表れでもある。

 

素人の趣味レベルのピアノ弾きで音楽は全然わからないぶどうさん。

 

高いレベルにある人の境地なんかわかるわけないが。

 

意味合いは全然違えど、誰かのためじゃなくて自分のためにピアノを弾く、それでいいんだと思った。

 

目からうろことは言わないが、真理だとも思える。

 

誰しもが、それを違う次元で行っているというだけのこと。

 

言葉は同じでも、中身の意味合いは全然ちがうのは面白い。

 

ぶどうさんは、人前で弾くのと失敗して恥をかくのが嫌だから、自分のためだけにピアノを弾くという名目で公開処刑(笑)を避けている卑怯者だ。

 

でも、それでいいんだ。いいことにしよう!

 

ピアノを上達しようとしている人は人前に出て経験を積んでいる、これもまた、自分のためにピアノを弾いている。

 

意味合いは違うけど、自分のため。

 

結局、なんでもいいから、ピアノを弾きたきゃどんな形や方法をとっても自分のためになるようにすればいいってこと。

 

人生の主役は本人だけで、生ききるために努力することは自分のためになるようにならなければならない。

 

利己的でいいとは言わないが、譲れない部分はだれしもあって、芯となる部分では主張して、いい人生となるよう頑張らねばならないのだ。

 

若い、才能あふれた方の弁はとても力強く、勉強になる。

 

こういう若者がまだまだ日本中にいるんだと思うと将来が明るい気がする。

 

50代後半、還暦が見えてきた、へたくそピアノ弾きのぶどうさん。

 

弱音を吐いては投げ出す癖があるので、ピアノがいつまで続くか怪しい。

 

意味はかなり違うけど、ピアノは自分のために弾いていいとの言葉を見て、気持ちが楽になったぶどうであった。

 

気楽にいきますか~