こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

ちいかわアニメで、ちいかわとハチワレがホットケーキを食べていました。

 

手にもって縦に食べるなんて斬新ですね。

 

本日方針転換のお話です。

 

 

愚痴なので、苦手な方はスルーしてください。

 

 

 

10月のピアノの2回目のレッスンに行ってきたぶどうさん。

 

今回もなにも進まなかった。

 

前進どころか、後退していた。

 

練習はちゃんとしている。つもり。

 

ほとんどサボっていない。

 

それなのに、全然進歩しないのだ。

 

特にショックを受けたのが、ツェルニー。

 

なんと、2番に2ヶ月以上かかることになった。

 

もう絶望的だ。

 

譜読みが簡単で、2ページ強しかない練習曲を2ヶ月も仕上げることができないのは異常だ。

 

改めて、ダメなんだ・・・とがっかりした。

 

才能うんぬんが元から無いのはわかっていたが、ここまでとは!

 

才能があれば子供の頃もっと進んでいただろうしやめなかっただろうから、ないのは断言できる。

 

練習は一応している。

 

日常生活をピアノの練習で圧迫されている感さえする。

 

お昼間に練習時間を確保しなきゃというので、行動が制限される。

 

おまけに不器用なので何事にも時間がかかる。

 

ピアノを弾くということは大量の時間=命と、夫からもらったお金を投下していることでもある。

 

ぶどうさんにとってピアノを弾くって人生の無駄遣いかも?

 

ツェルニーではっきりした、この事実。

 

この先どうしよう、と思いながら帰路についた。

 

終の棲家はピアノを買うためでもあるし、簡単にピアノをやめるとは言えない。

 

レッスン辞める?ツェルニー辞める?

 

辞めれば全部ゼロになる。

 

たとえ何か月かかろうと、やり続ければ亀の歩みで進んでいくから、1年10年後には、きっと少しは遠くに来ているだろう。

 

でも、それでいいのかわからなくなってきた。

 

なにやってんの?ともう一人のぶどうさんがツッコミを入れてしまう。

 

そういえば、「もう自分は上手にはならない」と公言しながらレッスンを熱心に受けている人を知っている。

 

その人は、自分でバリバリ稼いで、ピアノが大好きなんだと言い切れる人。

 

素晴らしい。

 

ぶどうさん、その情熱はない。

 

稼ぎはないし、ピアノを弾くことが大好きなわけではない。

 

ピアノの音がすきで、日々小さな努力をして少しでも遠く(精神的に)に行くための手段がピアノだ。

 

自分だけの愉しみで、ある意味自己満足、自己陶酔できればいいのだ。

 

それってレッスンをやめればいいのだけど、やめれば元の木阿弥ではある。

 

ツェルニーだけやめるのはありだ。

 

10年~20年がかりでやる覚悟さえ決めれば、おそらくすすんでは行けるだろう。

 

なんだかなあ。

 

弾きたい曲はレベルが高すぎてお師匠から弾いていいよとはならないし、今のレベルで弾きたいものは全然ない。

 

レベルが低すぎて・・・。

 

この3年、必要に迫られて選んだものばかりで(背伸びもして)、本意でない曲ばかりを弾いている。

 

希望がない。

 

なんだか宙ぶらりん。

 

レベルに合わせた曲を選ぶのはなかなか難しい。

 

そこに弾きたい曲があるのかというと、微妙。

 

弾きたい曲でないと、時間の無駄だなあと思う。

 

どんなにレベルが高くても時間をかけて、弾きたい曲を弾きたいように弾いた方が幸せなんだろうか。

 

これもまたプロから見たら時間の無駄ではあるんだろうけど。

 

アラカンのピアノって、宙ぶらりん。

 

弾きたい曲をバリバリ弾けるわけではないし、たとえ弾けるようになっても人生の時間はさほど残っていない。

 

1曲1年かかっていたら、生涯弾ける曲には限りはあるし、なにより飽きて嫌になる。

 

飽き性なので。

 

ピアノを続けるつもりなら、方針転換が必要かもしれない。

 

日常の好きなことを見直すとともに、ピアノをこじんまりひっそりと楽しむだけならもう少しピアノの比重を落とそう。

 

終の棲家に購入する予定のピアノはまだ決めていない。

 

この時点で気づいてよかったのかもしれない。

 

小さくて安くて手放しやすいものにしようかなあ.

 

子供にこういうものを買うとピアノは続かないらしい。

 

道具は大切だけど、アラカンだとそういう選択もありだ。

 

新しい家での生活を前にいろいろと方針転換をすることにしたぶどうであった。