こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
冬のあいだ室内に入れていた観葉植物をベランダに出しました。
家の中はちょっとスッキリ。
植物も、ありすぎはいけませんね。
適量が一番です。
本日調理定年のお話です。
数年で50台を終えようとしているぶどうさん。
もともと怠け者ではあるが、妙齢なのも手伝って、最近食事の支度が面倒くさい。
毎日の夕飯は仕事として渋々やっているが、週末の食事はできればやりたくない。
やりたくない理由は、お休みのせいで忙しいから。
主婦にお休みはない。
自分のこと以外で振り回されるので、カレンダーのお休み=自由にならない時間が増えるの図式になる。
これは子育てをしている人にとってはうなずけることだろう。
ところが夫婦二人暮らしでもこれが当てはまる。
家族がいると、自分だけの時間をとるのが難しい。
ところが。
ピアノを習いだしてから、少しずつそれが変わってきた。
ピアノの練習を毎日5分でもしないと、うまくならないのでレッスン代がもったいない。
ケチなのだ。
レッスン代は自分で稼いだお金ではないので、一層もったいなく感じる。
それで、お休みの日にも意識的にピアノの練習時間を確保するようになった。
それを見た夫も、ピアノの練習時間を尊重しなきゃと思うようになったのか、お休みの日の食事に協力的になってきた。
手抜きメニューで文句を言わないし、ラーメンくらい作ろうという気になった。
ただ、作る主役はやっぱりぶどうさんで、夫が全責任をもってやることはない。
ぶどうさんとしても、すべてやってもらうつもりはないけれど、食事は女が作るものという考えは捨ててほしいとは思う。
どちらも年老いていくのだから、生活スキルをそれぞれ養っておいた方がいいからだ。
当たり前だが職業に定年はあるのに、家事に定年はない。
家事は日常で、日々こなさなければ生活がまわらなくなる。
掃除も、洗濯も、料理も。
まとめてやろうなんて考えてはいけない。
却って面倒くさいことになる。
幸い料理は外注できるが、簡単なものなら作る方がいい。
料理は、一生現役で続けることになりそうだ。
それでも、複雑なものはさっさと手放すつもりだ。
巷では「調理定年」なる言葉があるらしい。
独り暮らしの、年老いた世代に当てはまるようだが、夫婦二人暮らしでも適用されていいと思う。
どちらかやりたい方がやる、やらなくてもいいとする、面倒なものは外注する、など決めたらお互い平和に健康に長生きできそう。
料理は頭を使うからいいというけれど、やりたくないと思っている女性にとっては苦痛で、やらないことがむしろ認知症予防になるのではと、真剣に考えている。
さて、ぶどうさんの調理定年は何歳にしようかな。
食べることは生きること、とはいえ。
やらされ感のある嫌なことならやらず、やりたいことをやって笑顔でいよう。
そう思ったら、調理定年までのご飯の支度がちょっとは楽しくなるかも。
老後を思い手抜きすることを決めたら、気楽になって案外生涯現役でいられるのかもしれない。
近い未来どっちに振れるのか、自分ではわからない。
ただし独り暮らしになったら、絶対やらないだろうと断言できるぶどうであった。