こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

今朝網戸の内側に蜂がとまっていました。

 

どうやって入ったのでしょう?

 

不思議です。

 

 

本日家具のお話です。

 

終の棲家を探しているぶどうさんち。

 

土地探し真っ最中なので、目下土地情報ばかりしか見ていない。

 

土地探しを真剣にする前は、家の性能ばかりを調べていた。

 

でも肝心の、どんな家にしたいかは全然考えていない。

 

普通の人は多分、住宅展示場にいったりお宅見学したりインスタグラムを熱心にチェックしているんだろう。

 

そしてどんな家がいいか外観、内装を想像しているだろう。

 

確かにぶどうさんちも住宅展示場には2年以上前に行ったし、お宅見学も何回か行った。

 

行ったけど、ふんわりとした印象しかもっておらず、これがいいという感想はなかった。

 

ポイントで、この換気扇がいいとか、あれは嫌だとかはあったけれど、やっぱりふんわり。

 

夫婦そろってインテリアや見た目にこだわりがないので、まったくピンとこない。

 

珍しく意見が一致している部分は、飽きない家、時間が経っても古びて見えない家(つまり普通の家)がいいということ。

 

家の外観や内装には流行り廃りがあるからだ。

 

周囲の家、メディアで紹介されるお宅やその内にそれが表れている。

 

流行りのものにしたいという願望はないが、シンプルで格好いいものにしたい。

 

それがもし時代の流行を反映しているもので、時間が経って古びて見えると悲しいだろうから、味わいのあるものを選ばないといけないが。

 

これからの住まいの傾向は、ゴチャゴチャ沢山物があるより、物は収納にしまってスッキリさせるようデザインされている。

 

また洋風化と地震の怖さもあって、婚礼家具や本棚なんかもクローゼットや作り付けの棚に変わってきているように思う。

 

婚礼家具はもう、無用の長物だ。

 

地震で倒れるかもしれないので別部屋を用意せねばならないし、一度据え置いたら最後絶対に引っ越しまで動かせない。

 

裏を掃除などできない。埃がオソロシイ。

 

よってぶどうさんは新居購入時には、処分の方向で考えていた。

 

クローゼットを作ればいいからだ。

 

そうすればおうちはスッキリ、きれいに保てる。

 

しかし先日とあるYoutube番組を拝見して、あれ?と思ったことがあった。

 

そのYoutube番組では、各部屋にクローゼットなんかつくらず、部屋という箱のみ用意して家具を置こうといっていた。

 

子育て世代へのアドバイスだったのだが、子供は巣立つのだから、家の汎用性を広げるためには、そのほうがいいと。

 

家は長く住むものだ。

 

子供が巣立つなら、親は年をとる。

 

老後の親の生活がスムーズに行くようにリフォーム工事する際も、つくりつけのクローゼットがなければ簡単だ。

 

クローゼットを作るのだってお金がかかるのだ。

 

それを聞いて、そういう考え方もあるんだなあと感心した。

 

ぶどうさんちは子育て世代ではないし、最初から老後を見据えて家を建てればいいので、必要ならクローゼットをつくればいい。

 

けれど、本当にクローゼットが必要なのだろうか。

 

タンスをそのまま持っていけば工事代はかからない。

 

遠い将来家を売ることになったら、タンスを処分して箱になるように作っといた方が後の人がリフォーム工事しやすいかもしれない。

 

それに。

 

いまどき家具は大きくて無駄なように見えるけれど、おしゃれに見える家には、高そうな家具がある。

 

家具の存在感を借りて、より家をグレードアップしている。

 

そんなことに気が付いた。

 

ぶどうさんちの婚礼家具にはそんな威力はなかろうけれど、案外家がよく見えるのかもしれないと思った。

 

断捨離の番組に出てくるやましたひでこさんのオフィスみたいなところには、りっぱなタンスがデンとある。

 

断捨離した部屋には余計なものはなく、実用性はもちろん、空間を引き立てるアイテムなんだろう。

 

最近の新築の家は昔風の食器棚などないし、タンスもない。

 

作り付けのカップボードと、クローゼットだ。

 

家具の購入は立派なソファとダイニングセットになっているような感じがある。

 

ぶどうさんもそうなる予定だった。

 

しかしおしゃれな家、素敵な家は新しい古いを問わず家具を上手に使っている。

 

不要なものはちゃんと断捨離して。

 

ちょっと考え直してみたほうがいいかもしれない。

 

家の外観はハウスメーカー頼みなところがあるのだし、家の中の趣くらい自力で考えようと思ったぶどうであった。