こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
週末のお茶菓子は、団子と大福でした。
夜はおなかいっぱいで、軽くお餅入りのお汁にしました。
なんだか似たようなものばかり食べています。
お米はおいしいですね。
本日忘れ防止のお話です。
50台半ば過ぎのぶどうさん。
なんだかこの頃忘れっぽい。
年齢のせいなのか、だらけているのか、それとも・・・ブルブル。
いや、それはないことにしておこう。
何かに書いておけばいいのだろうが、それが面倒くさい。
日記を書く習慣はない。
以前は書いていたことがあったが、書いたものをどうしようというので、やめることにした。
有名人になって自叙伝をかくほどの人間ならいざ知らず、ただの一般人として生き死ぬのだから、その必要はない。
性格上、日記ってネガティブ記録になりやすいので、やめてよかったと思う。
ただ、一時期、そんな自分が大事なことを忘れないように何とかしようと思ったことがあった。
他人様のお知恵を借り、○年日誌をつけるとか、備忘録をつけるとかしようと考えたのである。
思い立ったのが年の途中であったので、残念ながら本屋さんで○年日誌を見つけることができなかった。
年末に思い出して買いに行ったが、3年、5年、10年それぞれを手に取り。
ぶどうさんには途方もないことだと悟った。
3日坊主に終わる自信が満々だったのである。
(実は過去一度やったことがある。挫折した(恥))
そのあとノートを1冊買い、備忘録をつけることにした。
数ページも書いていない。まだ存在している。
これも続かないとわかった。
分かったけれど、利点があるのに気が付いた。
本当に覚えておかなきゃいけないことを偶然書き込んでおり、それがたまたま役立ったのだ。
というので、備忘録は、あとで困らないためのものを書き込むことにした。
しかし、生活上は、そんなものばかりではない。
数日、1週間、長くとも3ヶ月ほど覚えるなり記録したりして、思い出したり実行したら忘れていいものが沢山ある。
どうでもいいこと、どうでもよくないけど重要でもないことなどだ。
それらを備忘録などに書き込んだら備忘録が何冊にもなって、どこに大事なことが書いてあるのかわからなくなり、何の役にも立たなくなる。
メモ用紙にメモして捨てるというのは、当日分としてはありだけれど、数日に及ぶとメモだらけになってわからなくなる。
なんとかならんかと考えた末。
いい案を閃いた。
カレンダーを使えばいいのだ。
1月過ぎれば、使うカレンダーと使わないものがはっきりする。
ぶどうさんちでは、書き込み欄のあるカレンダーを1種類使うだけだ。
壁にいろいろと貼るのが好きではないので、カレンダーは1ヶ月分ずつ扉裏にマスキングテープで貼り付けている。
そこに予定のみ書きこむ。
あとは、使わない。(今年はピアノの上に音楽関係の素敵なカレンダーを頂いたので置いているが)
毎年、ピアノ以外の習い事で、書き込める小さなカレンダーを頂くが(もちろん出所は会費から)上手に使えず夏ごろには捨てていた。
そのカレンダーに、その日にあったことを書きこめばいい。
具合のいいことに、カレンダーは広げてB4サイズくらい。
折り畳み式なので折りたためばB5ほどになり、持ち運べるし、薄いけれど本のように立てられる。
たくさん書こうと意気込めば、上記のように3日坊主になること間違いなしなので、適当に書くことにした。
何しろ毎年そのまま捨てていたのだから、失敗したってなんてことない。
1月6日から始め、現在10日経過した。
一応続いている。
殴り書きなのでちょっと汚いが、その日あったこと、なにかの予約を入れたことやその日付、書留の書類の着日など、どうでもいいことを書いている。
重要なことは備忘録に移せばいいし、年末に忘れると同時にカレンダーを処分すればいいのは気が楽だ。
いつまで続くかわからないけれど、役に立てばそれでいい。
毎年無条件に捨てていたカレンダーの活路が見いだせたし、とっておかねばならないメモが散らばらないだけましだ。
何より、忘れっぽいなあと思いつつ放置する気がかりや、忘れたらいけないと変なストレスを抱えるよりなんぼかマシである。
忘れるのは人間だから仕方がないし、忘れてもおおむね大丈夫なのだろうが、決まったものにちょっと書くだけで、まるっと忘れてもいいと思えるのなら、そのほうが簡単だ。
忘れ防止にいらないカレンダー活用策。
しばらく続けて、続かなかったら別の方法を、続いたらこれでやっていこう。
おぼえたいことは沢山あるのだもの、脳の容量はそっちに使ったほうがいい。
そして、雑多なことを書いたカレンダーと並行して本当に大事なことを記録するものも用意しようと思ったぶどうであった。