こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

11月の終わりが見えてきました。

 

早いですね。

 

寒くなります。

 

温かいものを食べて元気をつけておきましょう。

 

 

本日レッスンやめます?のお話です。

 

 

愚痴なので嫌な方はスルーください。

 

 

11月のレッスンを終えたぶどうさん。

 

今月も内容は停滞したまま終わった。

 

一体何をしにレッスンに通っているのだろう。

 

全然わからなくなった。

 

出来ないことをできるようになるためのレッスンなのに、数ヶ月出来ないままなのだ。

 

ちゃんと練習はしている(つもり)だ。

 

やっている(つもり)で、出来ない。

 

時間もお金もどぶに捨てているのと同じ。

 

時間は結局どこかに埋もれてしまうのだけど、お金を捨てるほどに余裕があるわけではない。

 

お金を出してくれている夫にはなんだか申し訳ない。

 

それ以上に心を暗くしていることがある。

 

ピアノを弾くことが、何をやってもダメな自分にさらなるダメ出しをしていることだ。

 

ゼロサム思考を手放し、1ミリ生活を実践するようになってマシになろうとしているが、ダメなものはダメなんだと烙印を押すためにやっているというか。

 

そんな日々の中、お師匠との間にちょっとしたトラブル(というかご迷惑をおかけしたこと)があり、なんだかギクシャクしてしまった。

 

そのあとのレッスンで、出来ない自分に嫌気がさしたのだ。

 

帰り道は下を向き、トボトボ歩きいながらピアノを辞めることを考えていた。

 

ピアノの練習は、嫌いじゃない。

 

むしろピアノの音を出せることは喜びだ。

 

でも同じことを何度やってもできない。

 

人前で弾きたいとか、誰かに認められたいとか、それはない。

 

ただ自分のためにピアノを弾きたいだけ。

 

自己満足できれば十分だ。

 

きれいに弾けるに越したことはないし、前進するためにレッスンを受けているだけとも言える。

 

それなのに再びピアノをやめたいという、後退のきっかけにしかなっていないではないか。

 

考えてみると、弾きたい曲ではなく弾けそうな曲しか選んでいない。

 

弾きたい曲の許可は下りず、弾けそうな曲を選んで、それさえ弾けなくておぼれている・・・。

 

そして、より強くなにをやってもダメな自分を感じてしまっている。

 

何をやっているんだろう。

 

悩んだ末、PCで検索をかけてみたらYoutube番組と、とあるHPに、ピアノをやめたくなったら読むお話とやらを見つけた。

 

素晴らしいが、全然自分に合っていないメッセージであった。

 

両者共通したことは、やめたらゼロになるということ。

 

だからやめない方がいいよ、ということ。

 

できなくてみじめな自分を受け入れなよということ。

 

その結論の前の、前提にちょっと違いがあった。

 

前者はその思考の原因はキャパオーバーしているんではないかということ。

 

後者はピアノは難しいんだから仕方ないということ。

 

うんうん。そうだ。

 

そうはいっても。

 

なんでピアノを弾くのにみじめなことを受け入れなきゃいけないんだろう。

 

才能がなくて先もないことが分かっている時点でなんの期待もないのに、さらにみじめになる必要なんてないのだ。

 

そもそも同じことを繰り返している地点で十分みじめだ。

 

言葉は悪いが、自分アホなんちゃう?と思う。

 

あ、すでにみじめさは受入れ済みか。

 

やめない方がいいよというのには一理あるが、どうにも解決策が見えない。

 

すぐさま辞めますというにはあまりに唐突で、かつ中途半端なので。

 

来月末か、ツェルニー30番を終わるまでは頑張ろうと思う。

 

その間、つらつら考えよう。

 

ピアノは、やっぱり弾きたい。

 

性格上人前で弾きたいわけでもコンクールに出て入賞したいわけでもないし、曲の仕上がりの完璧を目指してはいない。

 

そこが、普通にピアノを弾く人や音楽関係で生きる人と違うのかもしれない。

 

ある意味コツコツ筋トレマニアのような、ただのピアノオタクなんだろう。

 

これからどうしよう。

 

レッスンではなく、ピアノを弾くことを続けるためには通過点や着地点を決めて楽しめるようにすべきなのか。

 

自分の小さなゴール(通過点)やステップ(着地点)最終目標を決める。

 

何をやってもダメなんだもの、自己流の対策をとって臨もう。

 

人生を豊かにするもので、人生を薄暗くしてはダメだ。

 

愚痴を言いながら、今日もピアノの闇練に励むぶどうであった。