こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

1ミリ生活実践中です。

 

小さくとも歩みを止めないこと。

 

自分を肯定的な目で見るようになること。

 

積み上げて豊かになりましょう。

 

みなさまもご一緒に♪

 

 

本日使うか使わないかより、のお話です。

 

 

無添加を売りにした食物の食中毒事件が先週から報道されている。

 

いくらニュースを読んでも全然要領を得ない内容で、何がどうしてどうなっているのかさっぱりわからない。

 

その事件に関し、複数の著名人がコメントを出しているというのだけが読み取れた。

 

しかしそのコメントの内容にしても、どうも一部切り取りがあっているようでなんだか話が釈然としない。

 

ぶどうさんはこの事件に関してとやかく言えるわけではないので、ここではどうすべきだったかなんて話はしない。

 

また無添加の食品なんてアブナイよね、なんてことも言わない。

 

食中毒と添加物の有無は話が違うから。

 

そして添加物をいれること、そして入れないこと(無添加)に対し全否定も全肯定もできないからだ。

 

ところで、どれくらいの人が取り入れる食品に対し安全性を含めルールを決め線引きをしているのだろうか。

 

ほとんどの人は、雰囲気で無添加=安全、添加物=怪しい、でも普段はそんなに気にしてない、んじゃなかろうか。

 

昭和世代は、怪しげな食品添加物が多かった。

 

禁止された物もある。

 

かなり実験的な時代であったのは間違いない。(怖)

 

添加物を敵視する方たちのおかげで安全性への取り組みがなされたといっていい。

 

手づくりの良さへの啓蒙、質の高いものを提供する団体の設立なども、おこった問題のおかげかも知れない。

 

当時は、国民全体元気で、ちょっとは考える時間があったということだろうか。

 

ところがこのごろは一旦事件がおこると瞬く間に情報が広がり、一般の人が思考をする間もなくなんだかわからないところでいろんな論争が繰り広げられる。

 

報道または専門家?と言われる人のコメントに説得力があるほど本質からずれていったり、極端ともいえる話の展開になっていってしまうのは気になる。

 

そして、次の事件が起こるといつの間にか忘れられてしまう。

 

今回の事件が、何らかの教訓や人々の意識に残り判断の材料になるといいなと願うばかりだ。

 

事件の詳細はわからないし問題が何だったのかわからないのだが、びっくりしたことが一つある。

 

それは商品の数を調達するために、5日ほど前から用意し始めたということ。

 

家庭でさえ5日前に作ったものは、なかなか食べたくない。

 

ましてやそんなもの、他人様には上げられない。

 

とはいえ、プロは家庭とは認識が違うだろう。

 

作った商品をどこに保管していたのかはわからない。

 

生ものだったら製造後冷凍保存して、販売当日その場で解凍したのだろうか。

 

物産展のケーキ、スーパーの肉や魚など生鮮食品などは、解凍して販売しているのを見たことがある。

 

冷凍するときの条件は厳密で、おそらく専用のものを使っているのだろう。

 

冷凍したものだから絶対安心というわけでもない。

 

冷凍したもとの商品がどうかはわからないし、その商品を持ち帰るとき業者が手を施しても、買った側がどうするかは販売側はうかがい知ることはできない。

 

売る側、買う側の良識が問われる。

 

買い物するとき、買う側は売り手を信用して買うし、売る側は買い手の信用をお金で受け取り渡したものがその後役立つよう委託する。

 

双方あってなり立つ関係だ。

 

ただし商品が役目を果たす条件は明示し、期限内は安全を保証されるべきだ。

 

それをもっても、売り買いとはデリケートで難しいものなのだなあと、今更気が付いた。

 

今回の騒動で、プロでさえこうなのだから、素人が手づくりのお菓子のようなものを誰かに渡すのは、やはりやめた方がいいと思うようになった。

 

以前から控えるようにしていたが、確信できた。

 

日にちのたったものを差し上げることはないけれど、当日でも何かあると怖い。

 

たとえ売り買いのようにお金を介しなくとも、食の安全性の指針が相手側とずれていればトラブルのもとだ。

 

添加物を使う使わないとかいう話で世間的には終わってしまうだろうこの事件。

 

その結論で終わらずもう一歩先に進んで、自分はどうしたいかどこまで許せるかなど食についてそれぞれが考えるきっかけになるといいなと思うぶどうであった。