こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
ぶどうの季節になりました。
あ、食べるほうです。
産直でナガノパープルを発見しました。
おいしいですね。
ぶどう万歳。
あ、食べるほうです。
本日ピアノ弾けますのお話です。
この秋でピアノのレッスンに行くようになってから2年になるぶどうさん。
正確にはレッスンに先だち曲を練習し始めたのが9月ころだったので、もうすぐ2年だ。
2年経ったが、2巡目のツェルニー30番は未だ終わっていない。
ハノンとバッハは相変わらず、そのほかに弾く曲でお師匠さんから無条件でOKがでるのは、背伸びして中級の下までくらい。
背伸びしすぎると、かなりの時間を費やした挙句しょうもないレベルで上がりになっている。
実力はその程度だ。
そのくせ、習っている期間はトータルでは意外に長い。
子供の頃、大人になってから、途中中断して今まで通算で20年近くなる。
子供の頃はまじめに練習せずほぼ初級でやめていたこと、間間でかなり長いことブランクがあり、全然上手になっていない。
継続は力なりとは逆に、継続しないとなんにもならないの見本のような人間である。
2度やめたことで、ピアノを捨て完全にやめるつもりだったのが、ひょんなことからご縁があり今に至っている。
だから、もうピアノをやめることはないと思うし、生涯弾き続けようと決めている。
今度はあきらめず、継続は力なりを信じ地味に歩みを進めていくつもりだ。
2年も続けると、しかし、欲は出てくる。
ツェルニー30番が終わったらなにしよう、とか、お師匠さんにこっそり内緒で弾いてみたい曲をコツコツやろうかしら、とか。
そんな楽しい気持ちはあるけれど。
後ろめたい気持ちも同時にある。
時間とお金をかけて練習しているのに「これ弾けます」という十八番がない。
もしピアノが目の前にあって、誰かに弾いてよって言われても突然弾ける曲はない。
なにより、他人に「ピアノ弾けます」なんて言えない。
弾けてませんからね・・・・・。
そういう意味では、練習にしろ発表会にしろ、「選曲に難あり」という外野の意見は正しいのかもしれない。
もっと、楽しく弾ける曲をいくつかレパートリーにするべきなのかも???
だれかに「ピアノ弾けます」と言いたいとか、人前でさらりと弾きたいわけではないけれど、弾けると自分もまわりも楽しめるのではないだろうかと、この頃は思うようになってきた。
最近、何のためのピアノか、ちょっと悩んでいる。
やってもできないことを一所懸命やることは、ぶどうさんにとってはピアノは修行に近い。
それはそれで悪くはないのだけど、ピアノや音楽ってそれだけではない気がする。
みんなが知っている曲を、みんなと楽しめるように弾くというのも、ピアノの愉しみかもしれない。
発表会が終わったら、子供向けの、初級の有名な曲から始めてみようかな。
さすがにすぐにはピアノ弾けますとは、言えないが。
いつか、近い未来に簡単な曲を弾けるようになったと言えるといいなと思うぶどうであった。