こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

今の季節にシクラメンが元気に花を咲かせました。

 

ちょっと不思議です。

 

夏越しできるといいな。

 

我々も元気に夏を乗り越えましょう!

 

 

本日なりたい顔のお話です。

 

 

最近ほうれい線が気になるぶどうさん。

 

夜はピアノが弾けず、暇すぎてついついスマホを見てしまう。

 

スマホ顔・・・?

 

危ない。

 

顔の筋肉を鍛えなければと危機感を抱いている。

 

50半ばでも、ちょっとは気にしないとね・・・。

 

年齢相応の顔であることに特に嫌悪感はないけれど、嫌なオバチャンに見えるようにはなりたくない。

 

そういえばT○erで、とある番組が顔について興味深い話をしていた。

 

企画は街角インタビューで、町の方々に「なりたい顔」を聞いていたのだ。

 

みなさん、わかりやすく芸能人を答えていらした。

 

それらの芸能人は、活躍中の美人の女優や俳優、一流のミュージシャンなど。

 

そういった答えは若い人に多く、一方中高年層は往年の女優や俳優(の若い頃)で、なかには外国人を上げた人もいた。

 

それを聞きながら、ふと気が付いたことがあった。

 

若い人は手が届きそうか憧れの顔をあげ、中高年層は結構ぶっとびというか、まさに理想を上げているということだった。

 

で、ぶどうさんがどっちに共感があったかというと、中高年層の回答だった。

 

とくに外国人の顔を上げるなんて発想が予想の斜め上すぎて驚いたが、なるほど、だと思った。

 

なりたい顔を考えたり聞いたりすること自体ナンセンスだ。

 

顔を取り換えるわけにはいかないし、変えるとしたら化粧をするか、整形するかしかない。

 

それをあえて聞くというあたりが人間臭くて面白い。

 

またその答えというのが、本当になりたいと思っている顔というより、なるわけないけどいいなあと思うものだ。

 

若い人は憧れを追い求めるエネルギーがあるから憧れに近づこうとするが、中高年になるとそのあたり達観しているのだろうか。

 

人の顔は年齢とともに経験を織り交ぜて変わっていく。

 

若い頃にはわからなかったが、50過ぎてなんとなく実感するようになった。

 

良い年の取り方をして、いい顔でいたいものだ。

 

これまでなりたい顔というもの自体考えたことがなかったが、これからは「いい顔」を目指そうと思う。

 

実は先述のインタビューをみるまで、なりたい顔を考えたことがなかったということに衝撃を受けた。

 

ぶどうさんは、十人並どころか人並みの、平凡な顔だ。

 

団子鼻じゃなかったらいいのに、とか平べったい顔でなかったらいいのにとか思うことはある。

 

でも世界に一つの、ぶどうさんだけの顔だから、誰かと同じ顔にならなくていい。

 

その代わり、年齢にふさわしい、柔和でかつ意思の強い顔になりたい。

 

あ、それがなりたい顔?

 

なあんだ、誰かと同じ顔にならなくてもいいんだ。

 

インスタントに、だれかと似たような顔より難しいけれど、しっかり自分の顔を育てていこうと決めたぶどうであった。