こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

湿度が高いので除湿器をかけています。

 

部屋がカラッとなりました。

 

じめじめした季節が快適になるアイテムに感謝です。

 

 

本日本当のところは?のお話です。

 

 

認知症基本法案とやらが参議院で可決されたそうだ。

 

まだ詳しいことは全然わからない。

 

分かったことは、認知症になっても尊厳と希望をもって生きられるよう、社会と共生できるようにということと、自立して暮せるよう本人には保険や医療の、家族へはなんらかのサポートをするらしい。

 

すごくいいことではないか!

 

と、手放しで喜んでいいのか、全然わからない。

 

参議院で議論されたということは、認知症の人に関係する方や専門家が呼ばれたうえで議論されたのだろうと思うけれど。

 

基本法案が可決された報道を聞くと、いいニュースとそうではないものが入り混じっているようで気になった。

 

いいニュースは、認知症の人と社会の共生であり、認知症の人だけでなく家族が孤立しないよう支援する社会を目指していることだ。

 

一方悪いニュースとしては、認知症の人が自立して暮せるよう云々というくだりであり、日本は施設介護からシフトチェンジして、自宅でなんとしてでも自力で暮らしてもらおうというふうに変わってくるのではないかということだ。

 

安易に施設に入ろうなんてダメよ?ってことになるんだろうか。

 

それはそれで、本人にとっても家族にとっても困ることになるのでは。

 

認知症になったからといって普通の暮らしを捨て喜んで施設に入る人なんて、いないだろう。

 

大半が家族に迷惑をかけたくない、もしくは、家族が面倒を見切れないというので施設に入ることになるのではないだろうか。

 

施設にはいるのは、悪?

 

なんだか世間には根強い誤解があるようだ。

 

施設にお世話になることを不名誉に思ったり、恥じたりすることはないとぶどうさんは思う。

 

ぶどうさんのお母さんは、アルツハイマー型認知症になり、今は施設で暮らしている。

 

望んで施設に入ったわけではない。

 

老々介護だったが、自宅で面倒を見れる人がいないからお世話になった。

 

思うところはあったが、施設にお世話になってよかったと思うことは色々ある。

 

一つは、安全が確保されたこと。行方不明の危機から解放された。

 

もう一つが、衛生状態が良くなったこと。

 

定期的にお風呂に入れてもらって肌艶がよくなり、清潔な服をきちんと着ている。

 

食事が用意され、空調の管理がなされているのもありがたい。

 

子供の近くに呼び寄せたほうが幸せとの見方はあるかもしれないが、長く住んだ土地の施設だから、慣れた味つけの、郷土食が出るのもありがたい。

 

ぶどうさんのお母さんが幸せと感じているかどうかは、わからない。

 

ぶどうさんをもはや自分の娘だとは思っていないが、帰るねという段階で顔をしかめるところを見るとなにかしら感じるものがあるのだろう。

 

けれど、ぶどうさんは母親を自分で見ることはできないことはわかっている。

 

施設の方に感謝しつつ、母の日々の心の安らぎを願うばかりだ。

 

だからといって家族の楽のためばかりに施設があるわけではない。

 

前述したように本人の安全や衛生状態が確保できる場所で暮らすのは、大きなメリットである。

 

施設を頼ることが悪いことではないし、自立してくらすことばかりがいいわけでもない。

 

認知症基本法案は、できたばかりだ。

 

介護保険が始まって20年は経っており今さら感はある。

 

その詳細はわからず、発表されたばかりの報道では国民のためというより国のご都合に合わせて感が否めない。

 

誰しも年をとり、頭も体も否応なく衰えるときは来る。

 

認知症になるかどうかは別として、安心して年齢を重ねられる社会であってほしい。

 

今回の法案成立が、本当のところは何をほのめかしているのか。

 

成行を見守っていきたい。

 

年をとることは平等に課される死への道筋ではあるが、すべての人がその道中輝いて生きていけるような世界になるよう尽力するのもまた、人の務めである。

 

他人ごとではすませず、しっかり考えなければと思うぶどうであった。