こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
さわやかな晴れの日です。
今年の五月は晴れが続く、いい季節になりましたね。
5月のパワーをしっかり受け取って、お元気にお過ごしください。
本日、困るなあのお話です。
(嫌な方はスルーください)
このところ、どこかで必ずLGBTQの話題が上がっている。
昭和世代かつ、社会から遠い場所にいるぶどうさんにとってはよくわからないお話だ。
え?わからないから理解しないでいいのかって?
この問題は誰しもに関わることであり、人権問題なのだからちゃんと考えなければならないと、お叱りを受けそうだ。
そうなのかあ。
当事者は幼いころから悩み苦しんでいるんだろう。
ぶどうさんに、その苦しみはわからない。
理解しようとも思わない。
誤解なきように言うが、理解したくないではなく、理解したつもりになることこそ傲慢なことはない、ということである。
これに関わるのは日本の人口の数パーセントの人だ。
大半の人にとってはあまり関係がない。
それでも毎日取り上げられる理由は、なんびとも人権を尊重するべしということと、数パーセントと言えどその人を取り巻く人々含め社会的な関わりの中で大切な事案であることからだ。
そんな遠いような近いような話だが、現実身近に考えなくてはならないことがある。
それが、トイレ問題だ。
他にも温泉や銭湯、ジムなどの更衣室、女性専用車両などあるが、一番切羽詰まっているのがトイレだろう。
男女別のトイレではなく、男女共用のトイレにすべきだとの意見がある。
外国では男女共用のトイレで問題はないので日本でもそうしてもいいのでは、という意見がある。
果たしてそうなのだろうか。
実際、男女共用のトイレはゼロではない。
大抵が男女別のトイレを確保するのが難しいところが多い。
列車や、お店、小さな公園や観光地などだ。
でも。
切羽詰まってなら利用するけれど、選択の自由が許されるならできるだけ女性専用にしたいのが本音だ。
理由は、危険だからというのと、汚いからだ。
危険な理由は、痴漢、盗撮、のぞき、待ち伏せ、命の危険があること。
実はこれは男女共用トイレに限ったことではない。
女性専用のトイレでさえ起こり得ることだ。
だから、女性専用トイレでもひとけがないトイレを使う場合は、扉という扉を開いて誰もいないことを確認して使うほうがいい。
男女共用になった場合、どうなるんだろう。
また、男性用小便器が別に設置されていないとしたら、洋式のトイレの清潔が保てるのだろうか。
すべての男性が座って用をたすわけではない。
立って用をたすとまわりが汚れると、CMでさえ言っている。
さらにわざわざ便座を上げて用を足してくれるのか。
というのも、公共の場の便座自体触ってきれいとは言い切れないから。
ちょっと男性が気の毒だ。
女性だとそもそも便座を上げる必要がない。そのままつかえばいいから。
じゃあ共用トイレにして、ほかに男性用の小便器をつけるか。
それはお互いが困る。
やっぱり、別の方が平和でいいんじゃないかと。
LGBTQといえばトイレを真っ先に挙げる、と揶揄される。
トイレを性的な意味で見過ぎているとも。
人間を動物とすれば、トイレ中は一番無防備になりやすいところだ。
安心して用を足せることが望ましい。
また絶対に避けて通れない生理的な現象であり、後回しになんかできない。
普通に考えれば体の構造自体、無理に変えなければ生まれた時のままだし、用をたす事自体がいろんな意味で性を意識せざるを得ない。
日本人だけがとりわけトイレを性的な目で見るわけではないんではなかろうか。
外国では公共のトイレはあらゆる意味で危険と聞くが、そこのところはどうなっているんだろう。
残念ながら、国を問わず善からぬことを考える人間が犯罪を起こすのだから、善からぬことが起きぬようにするのが一番だ。
じゃあ、トイレ問題は男女別でいいのね、LGBTQの話なんてどうでもいいのかってことだけれど。
トイレの設置に余裕があるなら、男女別は必須、その間に男女共用を作ればいいのではないだろうか。
もしくは男性トイレの出入り口に一番近いところ。
どっちでもいいよ、ってところを確保する。
最初の案は設置する側に負担を強いることになるのけれど、解決のひとつかな、と思う。
ようやっと動き出した世の中では、避けて通れない公共の場のトイレ問題。
誰しも安全に安心して使えるよう配慮されるといいなと思うぶどうであった。