こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

今日は金曜日です。

 

一週間お疲れさまでした。

 

春の週末をお楽しみください。

 

 

本日定年延長に隠れているもの、のお話です。

 

 

終の棲家探しを始めているぶどうさん。

 

希望は、今住んでいるところの近くに土地を買い、平屋の戸建てを建てることだ。

 

夫の中長距離通勤は大変だが、静かで買い物にはさほど困らない。

 

この土地が結構気に入っていることに気が付き、この周辺で探すことにした。

 

田舎とはいえ、平屋となるとなかなかまとまった土地は出ない。

 

気長に探すことにして、もう一年がたった。

 

この間土地情報サイトをみては、もうここらへんでいいか・・・とあきらめたりしたが、やはり後悔はしたく無い。

 

待ってみてダメなら違うところを探そうとも考えたが、ぶれずにいることにした。

 

近場ではほぼ土地は出ない。

 

出たとしてもとても高かったり、条件が厳しかったり。

 

土地探しは難しいものだと思ったが、エリアを決めている分探しやすい。

 

たまにサイトを眺めては、妄想を続けていた。

 

ところで最近、夫がTverでとある番組を熱心に見ているのに気が付いた。

 

目線の先には、日本ミツバチの養蜂特集。

 

夫はどうやら、養蜂をやってみたいらしい。

 

この頃は都会で養蜂をやる人が増えているらしく、また個人でもやっている人がいると聞く。

 

へ~、意外。

 

ぶどうさんは蜂にいいイメージはないが、蜂蜜は大好きだ。

 

夫の老後の愉しみにはいいかもと思い、早速調べてみた。

 

すると、住宅街では養蜂をやってはいけないらしい。

 

やるとしたら・・・。

 

まわりに家がないところ?

 

となれば、今探しているエリアでは無理である。

 

より田舎で、土地を広く買わなければ養蜂はできない。

 

そんなさらなる田舎に、50台の今はいいとして(いや、現実問題通勤に困る)、定年退職後に暮らせるんだろうか。

 

養蜂のために田舎に家を建てて、年老いて病気やけがをしたときに病院に困るのは目に見えている。

 

そこで、ハタと気が付いた。

 

今日本中で定年延長や、定年後再雇用、が検討され実施されている。

 

60歳だった定年が、年代によるが65歳まで段階的に引き上げられ、少なくとも再雇用含めて早くて65歳、遅いところだと70歳まで働かねばならなくなってきている。

 

将来的なインフレ不安により満額でさえ生活に十分ではないため、年金の繰り下げ受給をする人は増えるだろう。

 

そうすると、それまで働かねばいけない。

 

でも?

 

職場によって住むところが限定されるし、まさかの転勤を余儀なくされるかもしれない。

 

住んでいる場所が終の棲家という人はいいかもしれないが、それ以外の人はいつまでたっても終の棲家を見つけられない。

 

非常に不安定なまま仕事を続け、仕事を辞めてもお金がなければ不本意なところで暮らさなければならない。

 

今の60歳は、昔に比べて若いと思う。

 

60歳で新天地は考えようによっては遅いかもしれないけれど、定年が60歳ならばその時に第二の人生を選ぶに十分の時間的猶予があるような気がする。

 

定年延長されれば、それが先延ばしされる。

 

働き続ける理由は、生きがい、働き甲斐、そしてお金のため。

 

悪い話ではないかもしれないが、よくよく考えてみたら次の人生に進むのを遅らせているだけ、という考えもできる。

 

終の棲家とよべる落ち着ける場所で暮らし、生きがいを持って人生を楽しむ時間が減るということでもある。

 

長生きできる時代になったと言っても、人間の寿命に限りがあるのは変わりがないし、健康寿命が延びているわけでもない。

 

となれば定年延長で働き続けられることがいいことなのかは、わからない。

 

一部の人にとっては理想的なことであっても、そのほかの人にとっていいとは限らないのではないだろうか。

 

定年退職後に住みたい場所に住み、やりたいことをやる。

 

当然の権利だ。

 

今の時代なら、それでも人生の時間的猶予はあるかもしれないが。

 

より若いうちに住みたい場所に住み、やりたいことをやれる人生を送れるような仕組みが必要ではないだろうか。

 

定年延長に対し、思うところは人それぞれだろう。

 

ぶどうさんちは65歳まで年金を絶対にもらえない世代なので、定年延長されれば収入は安定するとしか考えていなかった。

 

すっかり騙されていた。

 

人生は一度きり。

 

寿命は誰もわからない。その時々を大切に生きるしかないのが人間だ。

 

そうであれば、定年延長は必ずしも喜ばしいものではなかったことに気が付いたぶどうであった。