こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
アメトピに掲載され、いつもより訪問のかたが増えてびっくりしました。
その波がひき、またまばらなご訪問となりました。
うん、こんな感じですよ。これが実力。
常連の皆様いつもぶどうさんのつまらないお話にお付き合いくださいましてありがとうございます。
今後もゆる~くやっていきますのでどうぞよろしくお願いします。
本日ほっぺのお話です。
昨年の秋から歯医者通いが続いているぶどうさん。
以前から問題になっていた歯を抜き、部分入れ歯を作り、ヤレヤレ…と思っていたら。
今度はその隣の歯がおかしくなった。
痛みがあり、どうやら中から膿がでているせいで歯茎が腫れていたようだった。
折角入れ歯を作ったが、すぐに隣の歯の治療を開始。
作った入れ歯はほぼ使うことなくお蔵入り。(トホホ)
今に至る。
根っこの治療なので時間がかかるとは言われていたが、状況が複雑なせいで4カ月もかかっている。
まだかぶせ物さえ作っていない。
月に何度も歯医者さんに通うという、ものすごく面倒くさいことを続けなければならなくなった。
高齢になった両親がやたら歯医者に行っていた理由は、実はこういうことだったのかと今更ながら気が付いた。
年をとると、虫歯にはならないものの、歯が割れたり昔治療した歯の処理が悪かったりで思わぬトラブルがでるものなのか。
また両親は入れ歯だったため、その調整があったのかもしれない。
入れ歯は作ったらそれで終わりではない。
年をとり、歯茎が痩せるとおさまりが悪くなる。
すると入れ歯が歯茎を傷めたり、食べ物がうまく噛めなかったりする。
入れ歯には調整が必要だとは、自分が入れ歯を作るまで気が付かなかった。
入れ歯は作ったら終わりと思われようが、実は細かい調整がきき、削ったり少々の肉をつけたりもできる。
入れ歯なんて作らずにいられるに越したことはないが、経験するとわかることがあるもんだ。
年齢を重ねることで得られた経験に感謝である。
とまあ、ここまではまるで入れ歯万歳なお話?だが、今日のテーマはそれではない。
先日歯医者さんに行ったときのこと。
治療の最中に、歯医者さんが
「ほっぺに器具をかけますよ~」
と、声をかけてくださった。
治療中なので、まな板の上の鯉だ。
同意にしろ、拒否にしろ、しようがない。
治療をうけながら、しかし、ふと気が付いたことがあった。
歯医者さんは、女性の先生だ。
ぶどうさんに比べてずっと若い。
そんな方が、ある意味初老のオバチャンに「ほっぺ」という言葉を使ってくれている。
ありがたや~。
なんだかほんわかしてきた。
その先生、いつも言葉使いが丁寧だ。
かわいらしい言葉使いでもある。
そのせいなのだろうか。
おっとりした感じで、品があり、なにより美しい。
とっても素敵な方なのだ。
ぶどうさんは、歯医者は嫌いだが、その歯医者さんの大ファンだ。
だからひいき目、というのものあるかもしれないが。
ほっぺという言葉を聞いてはっきりと気が付いたことがある。
言葉遣いは、非常に大切である。
とくに普段の言葉は、美しいものを選ぶに越したことはない。
自分が発する言葉は、誰が聞くものでもなく自分が聞くものだ。
それが内面と外面を形成していくのではないかと思うのだ。
その証拠に、俳優さんたちは役に合わせて言葉遣いを変えている。
役の人間性を表す一つが、言葉であり、口から出る言葉が顔を変えている。
言葉が、見た目まで支配するのだ。
つまりきれいになりたければ、きれいな言葉を使えばいいってことなのではないだろうか。
歯医者さん、きれいだし。
言葉って、ある意味こわい。
逆に、言葉を変えることで人をだますこともできそうだ。
ただ人をだます人は自分を欺いているので、結局は自分に滅ぼされるのだろうけれど。
ぶどうさん、50台半ば過ぎ。
やっとこさ言葉の大切さに気が付いた。
人生折り返し地点は通過したが、これから内面も外面も美しい大人になろうと決意した。
老いは醜悪への道なんて、誰が決めたのか。
美しくなってもいいではないか。
みんなが美しい言葉を使いだせば、心も体もかわっていくだろう。
そうすると家庭も社会も世界も変わっていくに違いない。
ほっぺという言葉に教えられたぶどうさん。
世界は教えに満ちている。
それをうまくキャッチして人生を豊かにしようと思うぶどうであった。