こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

11月は今日で終わり。晦日です。

 

カレンダーが残り1枚になりました。

 

予定を書き込んで、今年を楽しみましょう。

 

本日、踏み切れない理由、のお話です。

 

 

終の棲家探しをしているぶどうさん。

 

昨年の秋から、ハウスメーカーや工務店が開催しているオウチ見学会に参加している。

 

1年経つので、さぞやたくさん見学したことと思われようが、今数えてみたら7社10カ所ちょいしか見ていない。

 

意外に見てないのね・・・。

 

時間を割いて見せてくださった方々へは感謝である。

 

1年で7社も行ったが、未だ決め切れていない。

 

戸建を持とうという気持ちは固まったけれど、いつ、どの場所で、どの会社に頼むかは決めていない。

 

正直まだ迷いの中にいる。

 

とくに、いつ、どの場所で、という部分だ。

 

定年が分からなくなり、雇用の安定性が怪しくなった今、勤務先の場所に合わせて建てていいのか不安が出てきた。

 

お金の部分に関しては、ローンが組める現役サラリーマンのときがいいに決まっている。

 

建てるのが遅くなればなるほど不利になる。

 

さらに外的要因まで加わり、将来に家を建てることが退職サラリーマン家庭では難しくなる方向に行っている。

 

外的要因とは、インフレだ。

 

原材料に由来するインフレはしばらくしたら落ち着くかもしれない。


ここ数ヶ月円安で苦しんだが、円は再び上がったり・・下がったり・・・。

 

円安によるインフレも、続くかどうかはわからない。

 

ただ、一旦値上げしたものを下げるということはなかなかないため、今の状態からじりじりとモノの値段が上がっていくだろう。

 

また今後賃金の値上げに由来するインフレが予想される。

 

若い世代にとっては喜ばしいが、現役を退いた世代にとってはいささか不利になる。

 

まず年金額が少ないし、インフレ時代においては預貯金は目減りするから。

 

将来的に年齢が高い層にまで雇用が維持され、社会的に潤えば、年金もちょっとは上がるかもしれないがアテにはできない。

 

あ、それより人口が減るから社会保険料が爆上がりか。

 

そう考えると、景気が良くなるに越したことはないが、暮らしは変わらないかもしれない。

 

なんにせよ、50台の未来の雇用とお金事情は明るくない。

 

だからこそ、建てるなら今でしょ、なんて思われるのだが。

 

希望のエリアに家を建てたところで、数年後十年後に手放さねばならないとしたら、それこそ大損である。

 

インフレ様様で中古の戸建ての価格が上昇して高く売れればいいが、高く売れたところで、相場が上がったタイミングで土地と家を購入しなければならない。

 

おそらくマイナスだ。

 

そう考えると踏み出せない。

 

最も躊躇していることが、場所問題だ。

 

今住んでいるところは田舎で、車は必須だけれど住みやすくはある。

 

病院もわりかしある。

 

年寄りが多い町だが、年寄りが暮らせる街でもある。

 

終の棲家としての条件としてはいいのである。

 

2人とも縁もゆかりもない土地だが勤務地としては長いし、故郷に帰るつもりはいまのところない。

 

すでにぶどうさんの実家はないから帰る場所はない。

 

一方夫はというと、実家はある。

 

他の兄弟が実家のわりかし近くにいるから帰るつもりはないらしい。

 

母親が一人暮らしをしているが、その家は将来他の兄弟が住むだろうし、というので権利放棄すると言っている。

 

でも。待って。

 

今は元気でも、介護や施設に入って手がいるとなるとどうなるのだろう。

 

他の兄弟から、手伝ってくれと言われるだろうし、やらないとズルいと言われるのが関の山である。

 

おそらくまだ20年は生きそうな人だ。

 

夫が遠方の実家に様子を見に行くのは大変である。

 

今でさえ大変なのに、70すぎて手伝いに行くには限界がある。

 

体力も、お金も。

 

かといって夫の都合でそんな田舎に家を買うと、自分たちの老後が非常に心配である。

 

まともな病院がない。

 

だから場所的には今のところが理想的なのだけれど、夫の親のことでひと騒動が起きることを考えると、ぶどうさんとしては踏み切れないのである。

 

夫の親だし、折り合いが悪いからぶどうさんは手伝いにはいかない。

 

それでも交通費やホテル代などを月に数回負担するだけでかなりの出費となるのは間違いない。

 

そんなお金どこから降ってくるんだろう。

 

年間100万近くかかるとして、親の手が離れるまで負担し続けることが現実的とは思えない。

 

夫はそれに気が付いてないというか、意識的に考えることを避けている。

 

親の死後は解放されるかと思いきや、寺や墓問題が残っている。

 

実はここにもお金が絡んでくる。

 

門徒になったから、墓の維持費を払ったからと言って、ハイ終わりではないのである。

 

終の棲家の戸建てをあれこれと考えるのは楽しいけれど、垂れこめた雲がなくはないこの話。

 

おそらくどの家庭でもある話だろう。

 

本来は、「人は選んだ土地でその人らしい暮らしをする」権利とそのための責任と義務が生じる。

 

親は親、子は子で、自立して生ききるのが筋なのだが、すべての人がそういった意識でいるわけではない。

 

夫の家のことは、夫にまかせるしかないか。

 

将来夫が何を言い出すか、何を言われるかわからないが、ぶどうさんが先回りして問題解決しようとすることは無意味だ。

 

だから、解決しないといけない問題を作り出さないことが、一番の良策だ。

 

それゆえ、我が家を購入することに踏み切れないで先延ばしした宙ぶらりんのままでいる。

 

こういうの、なんていうんだろう。居心地が悪い。

 

なんだかモヤモヤが収まらないぶどうであった。