こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

今朝大きな太陽が雲間からでるのを見ました。

 

太陽の動き(地球の自転ですが・・)は早いですね。

 

一日のパワーをもらいました。

 

みなさまも体にお日様を浴びて、パワーチャージなさってくださいね。

 

 

 

本日レッスンの意義のお話です。

 

 

 

11月1回目のレッスンをうけたぶどうさん。

 

毎回のことだが、レッスンを受ける度にどんよりしてしまう。

 

ほぼ毎回同じようなことを言われるから。

 

つまり同じことを理解していない、出来ていないということだ。

 

とくにどんよりするのがツェルニーだ。

 

ピアノのレッスンを再開して1年以上がたち、ツェルニー30番の14番がやっと終わって15番に進んだのだが。

 

その14番さえ、2回同じことを指摘された。

 

内容は、スタッカートの長さと弾き方。

 

この指摘、14番だけではないのである。

 

以前から同じことを言われ続けていて、まだできていない。

 

その場での特訓を受けるのだけれど、要領が全くつかめずかなりの時間を費やした挙句、なんとなくできたようなうやむやな状態で「次回までに頑張ります!」のセリフでお茶を濁してしまう。

 

それでも14番が終わった理由は、まだまだ同じ型はあるし、右手は弾けているから・・・であった(チーン)

 

それ以外でも、ツェルニーで指摘されることは多い。

 

左手をなんとなく弾いているのでは?

 

左手だけを弾いてみて、音楽の流れをつかんで。

 

音をつなげて。

 

拍感、強弱、クレッシェンドの進行、右左のバランス・・・。

 

何度も同じことを言われて、自分にがっかりどんよりしてしまう。

 

アホである。

 

なにより嫌なのが、すぐに対応できない自分だ。

 

ダメだなあと思ってしまう。

 

毎回これだから意地になってツェルニーを練習するが、全然上達していない。

 

楽譜に書いてあることを忠実に弾けばいいのに、楽譜を見ているのに、弾いていないし弾けない。

 

しょんぼりしているぶどうさんを気の毒に思って先に進めましょうとお師匠に言わせているようで、そこも情けない。

 

先には進みたいが、出来てもいないのに先に進んで同じことを言われるのは意味がない気がする。

 

足踏みは嫌だが、情けないのも嫌だ。

 

簡単な解決法は、出来ればいことだ。

 

それまで努力するしかないのだ。

 

努力しなければならないことのなんとエンドレスなことよ・・・。

 

ツェルニー30番でここまでできなさ過ぎて、先に進めないのはどうだろう。

 

正直ちょっとだけピアノのレッスンを再開したことを後悔した。

 

けれど、レッスンを受けずに自己流に弾き散らしていたなら、こんな小さなことは一生気が付かずにいたことだろう。

 

これが誰かに教えを頂くことで得られる良さなのだろう。

 

また、空白の15年近くがなく、そのままピアノを続けていたら。

 

ツェルニー30番をもう一回やっただろうか。

 

(あ、やる必要ない人もいるかも?)

 

久方ぶりにピアノを弾いて、ピアノの弾き方さえ忘れていたからこそ戻ろうと思えた教材だ。

 

たぶんやっていない。

 

なにごとも前進派というか、前に進むことがいいことと捉えている節があるので、戻るとは言わなかっただろう。

 

望んだわけではないけれど、ツェルニー30番に戻ってよかったのかも・・しれない?

 

何度も言われて情けないけど、何度も言わせて申し訳ないけど、お師匠の指摘することはドンピシャな部分ばかりだ。

 

これをありがたいと言わずなんと言おう。(少々挫けてはいるけれど。)

 

レッスンの意義は、そこにある。

 

出来ていないことを一つずつ、同じことを繰り返してでもいいから潰していって、体と脳みそに叩き込まなければ。

 

小さなことができるようになれば、お師匠のハードルはガーンと上がるのだろうけど、それっていいことだよね?と思いたい。

 

レッスン後の情けない気持ちはなかなか上がらないけど、ボチボチ頑張ろうと思いなおしたぶどうであった。