こんにちは。
ぶどうさんです。
秋の気配がするわりに二日続きの真夏日です。
ベランダのスリッパがありえないくらいに熱いです。
体調管理のため、気持ち緩くお過ごしくださいませ。
本日、正解か不正解か、のお話です。
この夏から秋にかけ、ベランダの植物の手入れに余念がなかったぶどうさん・・・の夫。
ぶどうさんは、お手入れはしない。
植物のことは、名前以外さっぱり分からない。
その代わり、決まった植物の水やりやベランダの掃除などを担当している。
(夫お気に入りの植物に水をやって腐らせたので、うっかり手を出したくない)
夫は前々からボヤいてはいたが、この頃ますます体力が続かなくなったせいか、植物を整理しようと、ことあるごとに言い出した。
間の悪いことに今年は大型台風が来て、ベランダを片付けねばならず植物の室内への移動がとても大変であった。
片づけたら・・・また外に出さねばならないし、結構な手間であった。
おりしも9月はお休みが多かったし、夏~秋は植え替えの絶好の機会だ。
夫は週末や休日を利用して植え替えをすすめ、踏ん切りがついた植物などを鉢からだし切り刻んで徐々に処分していったようだ。
それでもまだまだ鉢植え植物はある。
面倒くさくなったのか、とうとう夫は「もうそのまま捨てようかな」と言い出した。
さすがに、しかしそれは植物がかわいそうなので、誰かに声掛けしてみたら?と言ったものの。
ハッとした。
タダでもらったものなんて、大事にされない。
結局時間延ばしで誰かにごみ処分を肩代わりさせるだけだ。
夫もそれには同意で、やっぱりそのまま捨てようということで落ち着いた。
処分の真っ先に挙がったのが、ある多肉植物だった。
名前は、桃太郎という。
形や名前が面白かったので、ずいぶん前に購入した。
夫に言わせると、形はきれいじゃないしやたら増えるし、水切りしていたら変な色になるし、花は赤いけど華やかじゃないし。
夫は、前から都度都度、その多肉植物をいらないと言っていた。
ちょっとかわいそうな気はするが、その気持ちはわからないでもない。
それに植物売り場であまり見ることがないので、あんまり人気がないのだろう。
でもぶどうさんは、違う気持ちでその植物を見ていた。
全然手がかからないのに、気が付いたら花を咲かせるのだ。
たしかに水切してるときは腐ったキュウリみたいでちょっと変だけど、多肉にしては珍しい赤い花で面白い。
ぶどうさんが世話をしているわけではないので、夫の意見を尊重して処分決定である。
が、ふと、あれ??ということに気が付いた。
桃太郎は、手がかからない。強く生きているし、感心にも花を咲かせる。
ところが、夫は非常に手がかかる、ある植物を手放しの候補にはしていない。
どんな植物かというと、山野草の大文字草だ。
本来は手のかかるものではないのだろうが、ベランダで育てるには、日当たりや水やりの配慮が欠かせない。
成長が悪いとなればいい場所を探して移動させ、水は毎日切らさないようにしないといけない。
夫の帰宅が遅い時には、ぶどうさんがベランダの植物に水をやるのだが、必ず盆栽と大文字草に水をやったかと念押しをされる。
盆栽はともかく、大文字草にそんなに興味はないぶどうさん。
大文字草の花をたくさん咲かせるためには、今年こそ水やりを失敗しないぞという夫の意気込みを知っているので手伝っているだけだ。
でも、桃太郎より手がかかるのに・・・ずっと持っている気だろうか。
ぶどうさんだったら、真っ先に断捨離対象だ。
夫にしたら、大文字草がすきだから手塩にかけて育てたいのだろうし、断捨離的には好きなものを残し、そうでないものは手放すだから、正解だ。
夫婦で真逆だ。
さらにもっと言うと。
手がかからずとも殖えて花を咲かせる優等生の桃太郎は、見向きもされず結果処分される。
手がかかってもかわいいから、甘やかされて?花を咲かせるのも何のその、優遇される大文字草。
なんだか人間社会の悲哀をみているみたいだ。
本当に残すべきは、何?
まあ、多分、夫の気持ちと、断捨離的に正解な大文字草・・なんだろうね。
ぶどうさんとしては、手がかかるものが残され、そうでないものが振り分けられることにものすごく違和感がある。
これを理不尽と言わずなんという。と、人間社会のことを持ち出したくなる。
もともと夫の持ち物なのだから夫が決めるのが正解だし、それでいいんだろうな。
人によって、立場によって、考え方によって、正解や不正解が違ってくる。
正解や不正解で割り切れるものはまだいい。
どこまでもグレーなことの方が世の中には多いし、それに従うほうが楽だからこそ世界は平和(なフリ)なのかもしれない。
お話の桃太郎は成敗する側であったが、うちでは追放されることになるなんて、皮肉なことだ。
さて、夫はどんな結論を出すのだろうか。