こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
10月になりました。
あと3カ月で、2022年が終わります。
楽しい思い出をたくさん作りましょう。
本日「どっちがいいか」のお話です。
終の棲家探しをしているぶどうさん。
土地の目星やハウスメーカーの選定など、やることは多いのだろうが何も決めていない。
ただぼんやり時間が過ぎているだけ。
それどころか最近になって、本当に今探しているエリアで年をとりたいのか、とっていけるのかわからなくなってきた。
微妙にピンチ。
無理やり探そうとしても、決定打に欠ける。
特に、土地が難しい。
場所が気に入り土地だけ買って、そこが建築に向かない土地だったら大変なことになるとか。
となると、ハウスメーカーを決めてからが安全策なのだろうが、どこも一長一短で、ここで!と決められない。
幸いなのか、あいにくなのか、ぶどうさんが住むところ付近ではポツンと空いている土地はあまりなく、中、小規模開発された、建築条件ありの(ハウスメーカー1社が開発し独占)場所がポツポツと存在するパターンだ。
こうなったら割り切ってそこを選ぶしかないのか?とさえ思い始めた。
いや、しかし終の棲家だったら、性能と維持コスト(もちろん住み心地も)にはこだわりたい気持ちがでてくる。
毎日毎日暮らす、一生の買い物ですからね。
そうなると工務店に頼みたいとなるのだが、土地探しが難航しそうである。
堂々巡りをしているとき、ある考えが頭をよぎった。
寿命が分かっていれば、掛けられるお金が分かるのになあ、と。
どれくらいのお値段の土地を買って、建物を建て、維持費がいくらで・・・と算出できる。
待てよ?
早死になら家なんて買わない。
賃貸で十分で、その分違うところにお金をかけたい。
長生きなら・・健康オタクになるかもしれないぞ。
自分のお金のかけどころを決められるし、生涯のお金の設計が立てやすいのになあ。
寿命が分かっていれば、「まき」で頑張ったほうがいいのか「ゆるく」やってもいいのかわかる。
「まき」過ぎて病気になるより、均等配分でやったほうが健康に良さそうだ。
そうはいっても。
そもそも人間は寿命が分からない。
寿命というのが本当にあるのか、わからない。
初めから決まっているという人がいれば、延ばせるという人もいる。
だれも本当のことは知らないし、そうやって生きている。
先がわからないのが人間で、それが素晴らしいのかもしれない。
寿命が分かっていたら、メリットよりデメリットの方が大きいのかもしれない。
デメリットって、何だろう。
一所懸命に生きないとか?自暴自棄になりやすいとか?
生きることの意味が分からなくなるとか?
あ、これは寿命が分からなくても同じか。
皆ひとしく死に向かって生きているのは同じだから。
却ってメリットの方が多そうである。
この世には、わかっていれば簡単なことなのにと思うことがいくつもある。
その種明かしは、誰かが気づけばわかることもあれば、永遠にわからないこともある。
だからこの世は素晴らしいのだろうか。
それとも、だからこの世はカオスなのか。
終の棲家探しでふと思い立ったこの疑問。
答えの出ないことをまじめに考え、ばかばかしい限りである。
それよりは家を手に入れることで、お金と交換に何を得るのか、もう少し突き詰めて考えようと思うぶどうであった。