こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

突然防災メールが鳴り響きました。

 

慌てて確認したら、訓練だそうです。

 

ああ、よかった。

 

9月1日でしたね。

 

身の回りを見まわして、安全にお過ごしくださいませ。

 

 

本日「いずれわかるときがくる」のお話です。

 

 

引きこもり主婦のぶどうさん。

 

誰かとコミュニケーションをとる機会はほとんどない毎日だ。

 

リアルにおしゃべりするのは、夫くらい。

 

感染症で人に会うことがなくなり、ピアノのレッスン日くらいしか他者と会話することがない。

 

そんな日々なので、ついついインターネットの世界にお世話になってしまう。

 

といっても、双方向なんて面倒くさいので、一方通行系である。

 

テレビにしろ、新聞等紙媒体にしろ、インターネットにしろ、情報源は定かではない場合が多い。

 

だから、話半分だ。

 

ふ~ん、くらいでちょうどいい。

 

間に受けてはいけない。

 

情報源が分かっていたとしても、それが事実に沿って報告されているのかはわからない。

 

いくつか同じような事柄を確認してから初めて受け入れるか判断しなければならない。

 

ただし、同じであっても、それが真実とは限らないから要注意だ。

 

嘘を長い年月かけてまき散らし、世代を超えて何が本当かわからなくさせてそれを真実にしている手法があるからだ。

 

歴史、歴史問題がまさにこれだ。

 

なにごとも、常に注意深く物事をとらえて取捨選択しなければならない。

 

ところで、タイトルの「いずれわかるときがくる」とは。

 

情報源も真偽のほども定かではないが、昨今インターネットでいろんな情報が受け取れるようになった。

 

ほとんどが善意で公開されているものだ。

 

公開されているかたのフィルターを通しているということは注意しなければならないが、おおむね有益な情報が多いと思う。

 

それらの情報は、受け取る側の姿勢でいかようにもなる。

 

その辺をよく心得なければと常に自戒はしている。

 

面白いもので、ずっとわからなかったことが、インターネットの情報で理解できたことが多い。

 

疑問に思っていた雑学的なこと、テレビ番組の謎の最終回とその思惑、思い出せなかった歌の歌詞・・・。

 

そういったことが、調べればわかるようになったのはありがたいことだ。

 

また、気になっていたことが人の口に載って出てきたり、YouTubeやブログで書かれていたりすることもある。

 

差し出されたものをありがたく頂戴するようになってきた。

 

この世は疑問の種があれば、いつか誰かが答えを、または自分で見つけることができるというシステムらしい。

 

そう。この世での、さして難しくない疑問であれば。

 

かならず、わかるときがくるのだ。

 

だから。

 

興味を持とう。

 

疑問を持とう。

 

答えを探そう。

 

人の言うことを鵜呑みにせずに、自分で考えて、行動して、理解しよう。

 

それと同時に、答えを持っているなら、必ず形にしたり、誰かに預けよう。

 

その疑問を解きたい人がいるはずだから。

 

平気でうそを垂れ流すなんて、決してしてはいけない。

 

やさしいうそも・・かんがえなきゃいけない。

 

やさしいうそをついたことで永遠に本当のことが分からなくなることがある。

 

生きている間の疑問を死んでから知っては、意味がない。

 

答えの分からないなか生きることは嘘の中で生きているようで心許ない。

 

うそは、誤解を招き、人を傷つける。

 

やさしいうそが本当にやさしいのか、わからない。

 

なんにしても、いずれわかるときがくる、のだ。

 

わかったことが、暗く悲しく情けない思いになるものではなく、素敵で美しく崇高なものであるよう、この世のみんなが日々努力、行動することが大切だ。

 

構成員の一人である、ぶどうさんの生きる姿勢を正すことは小さいことだが、大事なことだと思う。

 

ただのちっぽけなモブキャラながら、そんな決意をするぶどうであった。