こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
洗濯槽洗浄コースを稼働させています。
たまにやらないと、ですね。
夏の終わりは、宿題やり残し片付け期間になりました。
9月があたらしい始まりになりますように。
週末ですね。
楽しくお過ごしくださいませ。
本日なにもしない、のお話です。
ネットのゴシップ記事をみていたぶどうさん。
面白いなあと思うと同時に、不思議だなあと思う記事を見つけた。
おぎやはぎさんの小木さんの、姑(森山良子)さんとの関係を取り上げた記事である。
この記事は、どうやらラジオ番組のコーナーのお話を切り取ったものらしい。
よって、前後の話や流れが分からない。
ある一部分だけを書いたもので、どうとでも取れる内容である。
どんな内容かというと、
小木さんは、森山さんとお隣同士に住んでいるため行き来をしており、仲がよく、互いに慣れているのでお宅に訪問した際、森山さんの本当の息子のようになにもしない、とのこと。
小木さんがどんな方かはぶどうさんは知らないが、これだけ読むと、良い交流をしているんだなと取れる。
また、森山さんのことを大切に思って、図々しい自分にも本当の息子のように接してくれるということを言いたいようだ。
真実のところはわからないが、よく見ようとすると、こうとれる。
うがった見方だと、気の利かない娘婿、である。
こういったことは家庭内のことで、互いの関係性の上になりたっているものなので、他人がどうこういうのはおかしい。
家族とはねぎらいあい、補い合う関係であるので、おそらく小木さんは違う面で貢献なさっているのであろう。
ただ、この記事を見て、「息子ってなんにもしなくていいのか」と早合点する人がいるんではないかと危惧してしまった。
息子って、娘婿って、なんにもしなくてもいいのだろうか。
男だから?
娘や嫁は、親や婚家につかえるのが当たり前、というのがほとんどの意見だろう。
本当の娘のようになんにもしなくっていいのよ、なんていう女の人は、多分いない。
いたとしても、社会経験の少ない、ちょっとやばい人ととられるのが普通だろう。
男だとそうではないのだろうか。
古いフェミニズムみたいな考えを振り回す気はない。
今どき男だから○○女だから○○、というのに噛みつきたいわけではない。
男も女も、違いがあるし、得手不得手もあるし、向き不向きいろいろだ。
今のところ女性しか子供を産めないこと以外は、互いに役割を交換できることがほとんどだ。
そんな社会になってきているのに、息子は何もしなくていいと思っている、息子自身やその母親は旧態然としているのではなかろうか。
自分のことは自分でする、男も女も。
親が手助けするのは、出来ないうちだけ。
そういう教育や躾を小さい頃からやることは、結局は子供のためになる。
家族は助け合うほうが、家庭内がうまく回る。
互いを尊重することにもなる。
偉そうなことを言うが、さあぶどうさんの実家では、というと、男の兄弟は誰も家事を手伝っていなかったと思う。
男の子は勉強に運動にと配慮されていたが、女の子は母親から家事の手伝いを要請されていた。
両親ともに女の子の教育には熱心ではなく、習い事はしていいが、女の子がお母さんのお手伝いをするのは当然という考え方であった。
母は片付けが下手ではあったが、まあ普通の家事能力はあったし、あの時のお手伝いのおかげで今があると思えば、感謝である。
でも、本来は、息子にも娘にも、きちんと家庭内で役割を与え、自分のことは自分でするという自覚を持たせた方がよかったのではないかと思う。
その自覚があれば、自立したとき、家庭を持った時、子供を授かったときに上手に家庭を回すことができるんではないかとおもうのだ。
ぶどうさんの場合は、両親は好きではあったが、古い考えのもとで育ったことで、たまに残念な気持ちになる。
男の子は大事で女の子は家のお手伝で十分という考え方では、自尊心が育たない。
話を戻そう。
本当の息子のように何もしない。
この発言の真意は、ご本人のみぞ知るところであり、それの受け取り方は様々であろう。
その一部分だけを切り取れば、とても危険な考え方だなと思うのは、ぶどうさんだけだろうか。
それとも。
今の日本では、まだまだ当たり前?
嫁姑問題の根底に、この価値観が潜んでいるとしたら、どうだろう。
これは男であり息子であり娘婿だけの話ではない。
女であり娘であり嫁、姑の意識をも改めるときがきたのではなかろうか。
兄弟仲良く、親子仲良く、家庭円満。
それが誰かの犠牲の上になり立つのではなく、皆の心掛けで達成できるといいなと思うぶどうであった。