こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
梨の季節になりましたね。
季節の果物は、体を潤してくれます。
旬のものを食べて、夏の疲れを癒しましょう。
本日、けち、なお話です。
けちんぼのぶどうさん。
それは、今に始まったことではない。
そして、恥じてはいない。
このブログでも、ちょこちょこ「けちんぼ」話をしては、やらかしやトホホな結果をご報告している。
変なけちんぼをして、失敗することはある。
けれど全体をみれば、まあまあそんなに悪い結果ばかりではないので、害はないと思う。
けちんぼは、ポリシー次第、やり方次第ってなもんである。
さて。
最近「節約」の文字がやたら世間で踊っているような気がする。
節約は、けちんぼではないらしい。
そして節約は倹約とはイコールではないらしい。
調べてみたら倹約はお金に関することであり、節約は他のことにも用いられると。
ぶどうさんは、節約よりは倹約のほうが聞こえがよく、お利口そうに思っていたが、なるほど、そんな違いがあったのかと今更ながら納得。
そういう意味ならけちんぼは、悪い意味の節約家・・・なんだろうか。
けちって、いい意味では使われない。
話は戻って、節約節約なんて言葉が社会で叫ばれるのは、なぜだろう。
戦争や高齢化、流行り病で先行きがみえなくなり、時代が暗いからだろうか。
物価高で、給与や年金は上がらず、燃料費が天井知らずになっており、かつ円安傾向だから?
SDGsとやらが社会に浸透するようになったから?
どれも正解のようだけど、正解ではない気がする。
「節約は恥ではない」との趣旨の記事を見ると、節約道をすすめているのは…マスコミ?
ある意味、マスコミ的煽りなんだろうかと、かんぐったりするぶどうさん。
節約は、無駄を省くこと、である。
節約を意識せざるを得ない状況になり、折角節約に目覚めたのなら。
今までいかに無駄が多かったか、という見直しと反省をする機会にしよう。
無駄が経済を回しているんだと仰る方々もいらっしゃることだろう。
無駄と思われる、ものやことにお金を投じることで、お金が世に出回っている。
そして、それを世の人が肯定している。
でもそれって本当にいいことなんだろうか。
無駄に思われるものやことって、それにお金を投じる人がそう思っていなかったら、無駄ではないはず。
ただ、後から無駄だったなと反省するようなことがあれば、やっぱり無駄なものだ。
逆に、無駄なものだとわかっていて提供する方が、どうかしていると思う。
何が無駄で、そうではない→本物なのか。
その区別と見分けは、個人のみならず社会全体で取り組むことだ。
無駄なものより本物を選び取る、そして本物を後世に確実に残す訓練をこれからしなければならない。
今の日本は、本物を疎かにしすぎだ。
また、まことしやかに「持続可能な社会」とかでいろんな取り組みをしているけど、そもそもそれが本来の姿勢だ。
余計なアピール抜きで、回り道すぎなリサイクルなどはやめて、よりまっとうでクリアなやり方で節約道を究めていってほしい。
トホホな失敗は、やらないとわからないけど、繰り返すものではない。
個人ベースの失敗は、そこで終わるけど、国単位の失敗は笑い事ではない。
政治家さん、それを選ぶ人、しっかりしましょう!
日本は高齢化が進んでいる、お先真っ暗なんて考えている人がいる。
でもそれはちがう。
今日本は、成熟した社会へと進んでいっているのだ。
今が一番の踏ん張りどころである。
節約道に目覚め、本物を見極めて、これからも豊かな国であるよう皆が心を合わよう。
そういう意味では、節約って時代にあっているかもしれない。
節約は、日本を、世界を救う・・・かも?
ということは!
けちんぼも、同じかもしれない。って、図々しすぎなぶどうであった。