こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
お買い物帰り、トンボが宙づりになっていました。
よくみると庭木からでたぶっとい!蜘蛛の糸に引っかかっていました。
蜘蛛、おそるべし。
戸建の庭木には蜘蛛と蜘蛛の巣が半端ないです。
田舎あるあるでした。
本日、おいくらのお話です。
郷里から遠く離れた場所に住んでいるぶどうさん。
実家は、すでにない。
父は郷里の病院で闘病の末亡くなり、母はそのまま郷里の施設で暮らしている。
ぶどうさんは親の介護はせず、施設に任せっぱなしである。
これに対し賛否はあろうが、ぶどうさんとしてはよかったと思っている。
後悔していることといえば、もっと早く両親を呼び寄せておけばよかったということだ。
そうすれば入院中の父に寂しい思いをさせなかったし、欲しいものもすぐ届けてやれたのにと思う。
母に関しても、近くにいればいろいろとやってあげられるのに、と思う。
けれど、遅すぎた。
2人ともギリギリの状態でなお実家で二人暮らしをしていたため、とても移動できる状態ではなかった。
決断が遅すぎたのだ。
その決断はしかし、父がなすべきことであった。
父はぶどうさんの言葉に耳を貸さなかったし、母や郷里と決別する決断ができなかった。
いまでは、故郷で命を終えて本望だったろうと思うしかない。
母も、おそらく故郷で生涯を終えるだろう。
移動が難しいので、呼び寄せることは不可能だ。
呼び寄せたところで受け入れ施設もない。
そんな状態だが、母にとっても、ぶどうさんにとっても、今が一番安定していると言えるだろう。
直接の介護はしていないが、事務手続きやお金の支払い等はしている。
日頃親の介護をしている方に比べれば、楽ちんそのものの甘ちゃんだ。
それでも時間や手間のかかることがある。
ほんのちょっとだったり、結構面倒だったりといろいろだが、基本はちょっとだけ。
確実にあるのが、毎月の医療費の支払いだ。
施設側から毎月、かかった医療費の請求をまとめて送っていただいている。
遠くに住んでいるからか、わざわざ送っていただいているようでありがたい。
近い人は直接払いに行ったりするようだ。
で、ここからが本題。
その請求額というのが600円だったり、3000円~5000円くらいだったりなのだ。
直接払いに行くことができないので、振り込むしかない。
毎月行ってもいいが、一日がかりの上、万札が消えていくので、そこは振込で!
しかも指定銀行が、ぶどうさんの住む地域にはない。
おまけに1カ所だったらいいが、複数個所なので、その分の振込手数料がいる。
たとえ600円でも、5000円でも、それぞれに手数料が発生する。
地味に手間とお金がかかる。
それでも、請求額に振込手数料(他行分)だけだ。
これは、子供のいる人の特権だろう。
無条件にしてもらえるのだから。
子供がいないぶどうさんちでは、絶対にかなわないことでもある。
年をとって、施設にお世話になって、じゃあお金の支払いはどうするか。
考えた時、後見人を立てるなり、誰かと契約して雇わなければならないだろう。
後見人だと、噂によれば財産により月額が変わるらしいが、庶民なら月1~3万円くらいらしい。
月1万円年12万円なんて、払えるのだろうか?
将来の年金は少なそうなのに。
というか、払いたくない。
まあ、でも年間として12万円は考えようによってはもしかして妥当なのかも。
すべての管理もするんだったら、安いかもしれない。
けれど、月2万の24万円とかは、ちょっとどうかと。
雇うとか、そんなシステムがあるのかどうかは・・・よくわからない。
あれば、元気なうちに契約したいなあと思う。
ぶどうさんのやっていることを考えると、落ち着いているときはさして手間も時間もかからないが、手続き等面倒くさいこともあったりする。
ムラがあるのだ。
だから、1件おいくらの契約があればと思う。
じゃあそれをどうやって払うのか・・・うーん。
難しい。
やっぱり丸めでいくらのほうがいいのか???
ちなみに、振込1件いくらくらいなんだろう。
後見人に月1万円払っているとしたら。
1件3~5000円?!
施設とやり取りし、お金の管理をして、事務手続きをして、郵便物の受け取りや支払いもしてだけど、数年ただ働きのぶどうさん。
施設に預けっぱなしで何もしてないふうに見えるためか兄弟から感謝されず、当然と思われているこの手間は、誰かに頼めばお金が発生するものだ。
直接の介護は肉体的精神的に消耗が激しく、現在は介護はお金がかかるのは当たり前という認識になった。
長男の嫁のタダ働きなんて言語道断。
でも、直接介護ではなかったら、やっぱりただ働き。
社会的に、こういった手間が奉仕ではなく対価の発生するものだと、認知される必要があるのではないかと思う。
将来誰かに頼れない老人は沢山発生するだろう。
その時体系化されたビジネスの形になっているといいなと思うぶどうであった。