こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
今日は11年前震災のあった日です。
かなしいことですが、世界には今苦難の中で生きている人がいます。
日常と平和に感謝し、祈りましょう。
素敵な週末をお過ごしください。
本日祈りの日のお話です。
3月11日といえば、東北地方で起きた大きな震災の日である。
とても広範囲で起こった地震、そして津波が町や人の日常を奪っていった。
過去にも、そのあとにも大きな地震は起こっており、今後未来にも予想されている。
わたしたちの日常は、均衡を保ったギリギリのところにあり、小さな衝撃が加わるともろく崩れてしまうほどはかないものだ。
地震だけではなく、火山の噴火、豪雨など自然災害とよばれるもの、人災でもある豪雨による洪水や土砂崩れなどは、毎年どこかで起こっている。
地震や津波、火山の噴火はなくなることはないし、なくすこともできない。
わたしたちは地球とともに生きているからだ。
もし科学技術がもっともっと進歩して、災害の規模を小さくしたりなくしたりできたらもっと安心して地球で生きていけるかもしれない。
けれどそうした人間の浅知恵で対処したことで、地球のどこかでひずみが生じてしまうかもしれない。
人間の視野は、狭いからだ。
地球は大いなるリズムで生きている。
人間は、全体から見ればごくわずかな数存在するほんの一部であって、地球に間借りしている身である。
それなのに、まるでこの星の王であるかのように地球上に線を引いて、
ここ自分とこ!この中では勝手にしていいんだからね!
などと、バカげたことを考えている。
自国の利益を守るために他国を虐げてよいとか、噓を触れまわって他国の領土を自国のものにしていいとか、蛮行を行っているものたちもいる。
行動も考えも、ちっぽけすぎる。
人間はちっぽけだ。
行動も考えもちっぽけなのは、仕方ないかもしれない。
けれど、地球上のいろんな民族の神話の中には、話し合ったかのように「神様」がいて、人間は大いなる知恵を授かっている・・・となっている。
神様がいるのかいないのか、そんなことはわからない。
しかしその概念が普遍的に人間にあるのなら、「神様」はいて、「知恵」を授かっているのだろう。
その知恵は、文字通り知恵だったのかもしれないが、時が経つにつれ忘れられ、形を変えて浅知恵、猿知恵、悪知恵になってしまったのだろうか。
これでは、退化である。
猿に近い人間に神様は知恵を授けてくれたのに、遠くなったら失われたとはなんとも皮肉である。
もし、今の世界と地球を守りたいなら。
神様が授けたという知恵をみんなで思い出すしかない。
だから、戦争は止めよう。
戦争なんてやらなくても、地球が不快感を表せばその比にならない出来事が起こってしまう。
地球は我々よりもっと高等な生き物だ。
ただの土の塊ではない。
ちっぽけすぎる人間が戦争を起こして地球を汚してはいけない。
寛容な地球の上で、その恵みを受けてここまで来れたのだ。
感謝せずやりたい放題とは、思い上がりもはなはだしい。
これからも地球のリズムの中で、我々には脅威にしかならない自然災害は起こるだろう。
だからこそ、祈ろう。
過去の災害に逝ってしまった人への祈り。
今生きていることへの感謝と平和の祈り。
未来の地球と地球に暮らすすべてのものへの安寧への祈り。
祈りは遠くどこまでも、神様以上のなにかまで届いてくれる。
今日は、過去への祈りの日、
そして今への祈りの日、
未来へと続く、祈りの日へとしよう。
すべてのものが命輝いていけるように。