こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ただいま恒例週末食パン作成中。

 

ガスオーブンで台所があたたかくなりました。

 

夏は灼熱地獄なんですけどね・・・。

 

週末は冷えてお天気が崩れそうです。

 

体調に気を付けて、楽しくお過ごしくださいませ。

 

本日わかちあう努力のお話です。

 

 

ぶどうさんのお母さんは、アルツハイマー型認知症だ。

 

発病から12年ほどになる。

 

今はふるさとの施設で暮らしている。

 

このご時世、県をまたいで移動することができないこと、施設に万一の迷惑をかけてはいけないことで、1年ほど会えていない。

 

以前会ったときは、窓越しの面会であった。

 

もうぶどうさんのことをぶどうさんだとはわからないだろう。

 

近くで抱きしめられたら・・もしかして、と思うが、今は何とも言えない。

 

アルツハイマーになった原因はなんだろうと、ずっと考えてきた。

 

なぜなら、親子だから将来ぶどうさんもそうなるかもしれないと思うからだ。

 

長生きした母の兄弟は皆、認知症だった。

 

だから素養はあると思う。

 

父は死ぬまでボケなかったので、確率は半分だけど。

 

医学的には決定的な原因はわかっていない。

 

ぶどうさんはお医者さんじゃないし、学者でもない、ただの主婦だが、発症してからの歳月の中で感じたことがある。

 

母の病気は、生活習慣病ではないかと。

 

アルツハイマーは脳の糖尿病といわれる。

 

これは代謝に関係しているのだろうが、詳しくはわからない。

 

ここでいう生活習慣病とは、体の機能というよりは、思考や心のという意味である。

 

脳や心の使い方に問題があるのではないかと思う。

 

脳の機能的な話もあり、気になることはあるが確かなことはわからないので取り上げない。

 

ぶどうさんは高校卒業以来親と離れて暮らし、常に母の行動や言動を見てきたわけではない。

 

でも、記憶の母と発症後の母の行動や言動が違い過ぎて、ただただ驚いた。

 

発症後すぐさまはそんなに変わったことはなかったが、年月が経つほどに性格が別人になっていった。

 

とくに変わったことが、父への態度だ。

 

基本的に仲良しではあったが、あるスイッチが入ると罵詈雑言が飛び出す。

 

発症前には考えられなかったことだ。

 

母は父と喧嘩をしたことがない。

 

もちろん、小さな喧嘩はあるけれど、表立ってけんかをするような人ではなかった。

 

また他人の悪口を言ったりもしなかったし、ご近所さんともめることもしなかった。

 

思うことは色々あったのだろうが・・・・それは、娘であるぶどうさんにこっそり吐き出していた。

 

母には助けがいなかった。

 

今は交通機関が発達しているため距離感はないかもしれないが、母が結婚したころは他県に嫁ぐことはなかなか大変な時代であった。

 

知り合いのいないところで頼る人は近くにおらず、仲の良い友達も遠くにいるから会えない。

 

電話は手軽ではなく、手紙のやり取りしか手段がない。

 

助けがない母は、しかし手紙なんて書いている暇はなかった。

 

もちろん、泣いて帰る実家はすでにない。

 

そこで生きるしかない、そんな人生であった。

 

そういう人はその当時たくさんいただろうし、母がかわいそうな人であったとは思わない。

 

母は持ち前の性格もあって、嫌なことがあっても口に出さないし、すぐにケロッとしてしまうところがあった。

 

だから父と喧嘩にならなかったのだ。

 

それでも。

 

少しずつ澱のようにたまっていったものがあるのではないかと思う。

 

発症後の態度や言動は、長年心にため込んできたものが噴き出したんではないかと思う。

 

我慢という名の、思考や心の使い方のゆがんだ結果ではないかと思わずにはいられない。


だからといって、我慢しなかったらよかったかというとそうでもない。

 

母が父に反論してけんかになっては、家庭崩壊だ。

 

逃げ出すことなく、けんかをすることもなく家庭を保った母は立派だった。

 

日本人にとって我慢とは、美徳だ。

 

でもこのごろぶどうさんが思うに、我慢は怠慢だ。

 

やるべきことをやらず、問題解決するエネルギーを省いて自分で抱え込み、不平不満を言ってるだけだ。

 

もちろん、一部の我慢は必要だ。

 

ただそれは、心や体を成長させるものに限る。

 

母は、生活の中で起こる問題や自分の気持ちをもっと父と分かち合っていたら・・・もしかして素養はあってもアルツハイマーが発症しなかったのではないかと思ってしまう。

 

母のお世話をしたのは、父だ。

 

父はとてもいい人であったけれど、育ちの違う他人が夫婦になるのだもの、軋轢が生まれるのは当たり前だ。

 

父は同じ時期に別の病気を発症し、命を削りながら母の面倒を見てくれた。

 

母が病気を発症しても進行が緩やかで、ここまで長生きできているのは父のおかげだ。

 

そして、父も思いの外長生きできたのは、母のおかげなのだからお互いさまか。

 

夫婦とは、お互いさまでできているのかもしれない。

 

でも。もしが許されるなら。

 

母がもっと父と分かち合う努力をしていたなら、お互いにもっとハッピーな老後と最期になったのではないかと思う。

 

じつはぶどうさん、そのお母さんと似たような性格と境遇だ。

 

実家を遠く離れ、見ず知らずの土地の転勤にあちこち付き合い、夫や夫の家族に対する不信や不満を飲み込み続けてきた。

 

結婚して30年近く。

 

母の「心の生活習慣病」に気が付いてから、自分を変えようとしている。

 

自分と合わない夫なら他人だもの、離婚すればあっさり終わるが、一緒にいて楽しい夫でもあるので、この人生とことん頑張ってみようかなと思ったりしている。

 

だから、多少ぶつかっても「自分を犠牲にして」我慢するのではなく、少々はオブラートに包みながらも自分の気持ちを分かち合う努力をすることにした。

 

まだまだぐっと飲みこむことはあるけれど、それは夫も同じだと思う。

 

夫には夫の気持ちがある。

 

かなりの勇気とエネルギーが必要だが、お互い素直に気持ちを分かち合い、落としどころを見つけてその都度解決しくつもりだ。

 

心の中が澄んで、喜びと感謝だけが残れば、アルツハイマーにはないだろうし(多分)、万一認知症になっても母のようにはならないだろう。

 

夫婦とは、縁あって出会いともに生きるものだ。

 

父と母はいい夫婦であったと思う。

 

ぶどうさんちがいい夫婦かどうかは、まだわからない。

 

それでも夫婦仲良く長生きして、最期まで頭もはっきりして人生を終えたい。

 

だから、もし今、夫婦片方だけモヤモヤしているなら。

 

少しの勇気とエネルギーをもって、分かち合う努力を積み重ねていってほしい。

 

人生は思いの外長いし、短い。

 

今からスタートでも全然大丈夫。スタートに遅すぎることはない。

 

最後に。

 

結婚するとき父から言われた言葉のひとつ。

 

「相手に思っていること全部を口にするな」

 

親しき仲にも礼儀あり、小出しに、オブラートに包む知恵も大事ということで。

 

仲良し夫婦であれば、家庭を、社会を世界を明るくします。

 

もちろんシングルで頑張っている人も、同じです!

 

周囲と分かち合う努力が、自分もまわりも助けてくれます。

 

いい人生にしましょう。そしていい世の中にしましょう。

 

 

ということで。

 

わかる人にはわかるけれど、申し訳ないが諸事情でぶどうさんが誰か深く追及はしないでください。

 

ご理解ご協力をお願いします。

 

 

異国で奮闘している誰かさんにもぶどうさんのエールが届きますように。(余計なお世話でした)