こんにちは。
ぶどうさんです。
今日は節分、暦の上では区切りのひとつですね。
新しい季節になにをしますか。
今日が一番若い日です。
楽しんで毎日を過ごしましょう。
本日「節分」のお話です。
野暮用で朝から車で出かけていたぶどうさん。
つけっぱなしのラジオから、朝の番組のにぎやかな音楽が聞こえてきた。
一通り音楽が終わると女性アナウンサーが爽やかな声で番組に寄せられたハガキを読み始めた。
そこでやっと、今日が節分であったことに気が付いた。
子供がおらず、そして50半ばになったら孫がいらっしゃるかたも、と思うが当然いないぶどうさんち。
その手の行事を意識することがないので、なんの用意もない。
ラジオでは、「豆買わなきゃ、でも仕事で間に合わないし!大豆を炒る時間はない!」と女性アナウンサーが叫んでいた。
節分って大人になってさえそんなに大事なんだろうかと、不思議にさえ思いながら聞いてしまった。
いやいや、そういう行事はまじめに厳かにやったほうがいいよ!といつもなら思うのだが、節分の豆まきだけはあんまりしたくない気持ちがある。
なぜなら、撒いた豆を拾い集めるのが面倒だし、しばらくたって何かの隙間からほこりまみれの炒り豆が出てきた時の脱力感。
ゴキブリやダニの餌をまいたに等しい行為に、ちょっとげんなりするのである。
ところでこの節分にもう一つ、恒例行事が近年出来上がった。
以前も書いたことはあるが、「恵方巻き」をその年の恵方に向き無言で一本食べきるという、あれである。
西の国生まれの西の国育ちのぶどうさん。
子供の頃にこの慣習は西の国には存在しなかった。
初めて知ったのは、30年近く前。
関西のとある地域に住んで、はじめて迎えた節分の日。
近所のスーパーに買い物に行ったら、店中お酢のにおいが充満している。
ついでに海苔のにおいも漂い、お総菜コーナーの一角には人だかりが。
一体何が起こったのかと、目をまん丸くしつつ好奇心を抑えきれずに見物にいったところ。
大量の巻きずしが積まれていた。
どの買い物かごにも、巻きずしがいくつも放り込まれている。
・・・・なんで?
いったいこれをどうするのかさっぱりわからず、さりとてたかが巻きずしを買う気にはならず手ぶらで帰った。
気になって後日ご近所の方にバカ丸出しで理由を聞いて、笑われてしまった若かりし日を思い出す。
それが近年、ここ20年くらいであろうか、日本全国津々浦々にこの慣習が広がった。
クリスマスやバレンタインやハロウィンのように、外国のイベントが商売人によって広められたのと同じように、日本の一部の地域の慣習が広まったのである。
違いは、外国のものか、日本のものか。
なのだが、外国の習慣が物珍しく楽しいからというので広まったのはわかるが、長いこと日本の一部地域で行われていた慣習が、突然広まったのはとても不思議である。
商魂たくましい、そして楽しいことには乗っかる日本人ならではの現象なのかもしれない。
そうそう!わすれてはいけない。
20年前といえば、もしかしたらインターネットの普及に関係あるのかもしれない。
さて、真相はいかに。
今年の恵方は、北北西!らしい。
そう夫に話したら
「どうせ食わんから、そんなの意味ないよ」
と一蹴された。
西の国の古い住人としてはまあそうだろうね。
でも今日のスーパーの鮮魚コーナーとデザートコーナーは恵方巻に席巻されて縮小されていたからねえ。
もう恵方巻は立派に日本の行事だよ。そろそろ毒されてもいいんじゃない?などと思ってしまう。
来年の節分の夕飯は恵方巻にして、楽してもいいかもなあと悪だくみをする怠け者のぶどうさん。
あれ?ここでも鬼に笑われているぶどうであった。