こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

卵を買いに行ったら、お値段が上がっていました。

 

物価の優等生も、ひと昔前のことですねえ。

 

日の入りが早くなりましたね。

 

早めに帰宅しておうちでくつろいでくださいませ。

 

本日、壊れる・・・のお話です。

 

 

あれが壊れた、これが壊れたと、家のものが次々昇天していくぶどうさんち。

 

大きいものは電子レンジや腕時計、小さいものは、はかりやミキサー、消耗品諸々。

 

いいことか悪いことか、わからない。

 

ほとんどが寿命かもしれないし、リニューアルするいい機会ではあるが、なかには防げたものもある。

 

防げたと思う根拠は、壊れた理由が放置であったから。

 

もっと言えば、お手入れ不足。

 

ちゃんと使っていれば、もしくは放置するなら処置していれば、もしかしたら壊れずに済んだかもしれない。

 

壊れてもなんとか復活したものはあるし、お金を出して修理したものもある。

 

けれどほとんどのものは、あきらめて捨てている。

 

家の中のあまり使っていない不用品を家から出すことができ、家がスッキリしたといえばそうなのだが、そのものの命も、ぶどうさんの気持ちもなんとなく晴れずにサヨナラした感が残る。

 

それらを再び買うか、と問われれば、否と答えるだろう。

 

やっぱりいらないものだったのだ。

 

お金を出して修理までしたものは、必要なものだった。

 

いらないものにまでお金をかけて修理するのは、馬鹿げている。

 

そもそも壊れたのはお手入れ不足だったからで、長年放置しても全く問題なく暮らせていたのに今更いる?

 

たとえ修理したとして、一度いらないものと化したものたちのお手入れの手間と時間をかけられる?

 

ここまでわかっているなら、いらないものを持つことは無駄だと早く悟ればいいのに、そこまで知恵が回っていない。

 

やっぱりもったいなくて、一旦手にしたものは壊れるまで持っている。

 

そして、久しぶりに使ったら壊れちゃってた!と大騒ぎしている。

 

いままで忘れていたくせに。

 

もう手放す時だよ、と物が教えてくれているのに、それをすんなり受け入れられない。

 

なぜなら、元を取るほど楽しんでいないから!使ってないから!

 

ああ、かなしいけちんぼぶり。

 

毎日何かしら壊れていくぶどうさんち。

 

今日は洗濯ハンガーが2本昇天した。

 

先日から、長持ちとの殺し文句で購入を決めたポリカーボネートの洗濯ばさみが次々破壊されてビビっていたが、次はハンガーか!

 

昨日は腕時計、その前はエスプレッソメーカー・・・・。

 

冷蔵庫の動きは怪しいし、ピアノの音がすこんと抜けたりして、超大物の動静も気になっている。

 

1年も経ったらぶどうさんちのものは全部入れ替えになるんじゃないかしらというほどの壊れっぷり。

 

そんな人生の時期ってあるんでしょうかね?!

 

全部新しくなったら、人生新展開ってのを期待して、いい前兆ってことにしよう、するしかない。

 

心配しなくなると決めたので、前向きの発言をすることに。

 

が、うーーん、ピアノ、新しくなることあるんでしょうかね?

 

次は、グランドピアノがいいなあ。希望的妄想。

 

置く場所がないだけでなく身の程知らずなぶどうであった。