こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

勤労感謝の日ですね。

 

12月ももうすぐそこ。

 

徐々に冬の足音が聞こえてきました。

 

楽しい冬のイベントを企画して、気持ちを明るく保ってくださいね。

 

素敵な午後をお過ごしください。

 

 

本日ヒポエステスのお話です。

 

 

寒さが増してきた西の国。

 

晴れの日はとても暖かいが、ベランダに冷たい風が吹きつけるようになった。

 

初夏から夏に買った観葉植物は、すべてベランダですくすくと大きくなった。

 

10月に入る頃には大半は室内に入れたが、まあ大丈夫だろうと思われるものはラックに置いたままであった。

 

まあ大丈夫だろうという判断はかなりいい加減で、なんの根拠もない。

 

単に耐寒性があるかどうか調べるのが面倒くさかったのと、家に入れられるかどうかの微妙な姿になっていたからだ。

 

家に入れていなかった観葉植物は、3種類。

 

一つがピレア、もう一つがヒポエステス、最後のひとつがシマトネリコだ。

 

シマトネリコは街路樹やシンボルツリーにも採用されているので、まず大丈夫だろうとは思う。

 

しかし、ピレアとヒポエステスは非常に怪しい。

 

それなのに入れなかった理由は、どちらも花が咲き、伸びきってしまっていて、どうしたらいいのかわからない状態だったからだ。

 

とくにヒポエステスはひどかった。

 

とんでもなく伸びきって花が咲き、ベランダに枯れた花がばらばらと落ちて厄介な状況にさえなっていた。

 

株元をみると産毛に覆われた新しい芽が出ており、伸びきった茎についた葉とは違い、きれいな斑が入っている。

 

それで、思い切って花の付いた茎を切り戻し、株元の新芽を伸ばすことにした。(夫が!)

 

のびきった茎は曲がり、葉の斑はなく、ただの草と化している。

 

切ってしまったらほぼゴミであるが、見ていると、まるで野花が風に吹かれているような、不思議な美しさがある。

 

捨てるのが惜しくなり、花瓶に差してしばらく楽しむことにした。

 

普通の切り花と違い、全体が下を向いていけられた、ただの地味な草の風情。

 

それなのに、なにやら動きがあるようにもみえ、それがヒポエステスのもつ、一つの美に思える。

 

気に入ってガスレンジ脇の空間に花瓶を据え、楽しんでいると。

 

夫は、どうやらそれがごみにしか見えないらしい。

 

もう捨てたら?という。

 

水に浸けても根っこは出そうにないし、そうであればただのゴミとみなされても当然と言える。

 

ぶどうさんは、根っこは期待していないし、ただの切り花と同じ感覚だ。

 

なによりそこに美が見える。

 

草花を愛でる夫婦ではあるが、なにやら分かり合えない(笑)。

 

美意識とは、そういうものなのかもしれない。

 

人によって違う。

 

けれど、自分に見える、感じる美というものを、大切にしようと思う。

 

茎を切り戻してから3日、きれいに保たれているヒポエステスの茎と花。

 

水に浸けてちょっと生き生きしてきた感じもある。

 

切っても生きているんだなあと、植物の強さを改めて感じながら、わが目でその美しさを楽しめることに感謝するぶどうであった。