こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

寒くなりました。

 

そろそろ焼き芋の季節です。

 

焼き芋屋さんの声はまだ聞こえませんが、楽しみです。

 

買ったことはないのですけれど。

 

楽しい週末をお過ごしくださいませ。

 

本日おいしいもの、のお話です。

 

 

久しぶりに夫と平日ランチに出かけたぶどうさん。

 

グルメではない我らが行くのは、昔からよく使っている、チェーンのレストラン。

 

十分ランチ提供時間であったのに店内は混んでいなかった。

 

コロナ感染者数が減っているとはいえ、外食産業の厳しさは相変わらずのようである。

 

とくにそのレストランは、コロナが流行って以降急速にサービスの質が落ちているように思う。

 

それでも、お店と従業員とを守るため、なんとか頑張っているのだろう。

 

感染症対策へのコストや手間がかかるうえ客数が減っているので、見えない努力で生き残りをかけているのだろう。

 

早くなんとかならないものかと思うが、もう2年近くこの騒ぎは収まっていない。

 

こんな世の中をぶどうさんの人生の中で体験するとは、考えたことがなかった。

 

ランチタイムであったので、店員さんが持ってきてくれたランチメニューをじっくりと眺め、結局いつものお決まりを注文した。

 

いつも同じなのにメニューを見ること自体無駄なのだが、その無駄な時間もお楽しみなのだ。

 

外食は、そんな楽しさがある。

 

けれど、いつ頃からだろう。

 

同じものを頼むようになったのは。

 

若い時は、今日は何にしようと悩み、前回とは違ったものを頼みたいとおもっていた。

 

いろいろと面白い体験をしたかったのかもしれない。

 

けれど、父や母は、外食する店はほぼ決まっていて、メニューも見ず毎回同じものを頼んでいた。

 

どうしてだろうと不思議に思っていたが、面倒くさいからかなと理解していた。

 

今でもまだ理解はできないけれど、迷いのない選択をする潔い性格だったのかもしれない。

 

たぶん。

 

だんだんと、記憶に残る両親の年齢に近づいてきて、自分も同じことをしているなとやっと気が付いた。

 

ぶどうさんは迷いっぱなしの、あきらめの悪い人間だけれども、結局は同じような注文の仕方をしている。

 

その心は?

 

と考えた時、「間違いないお味」をその店で食べるのが一番!という気持ちが見えてきた。

 

ああ、そういうこと。

 

そうかもしれない。

 

そしてそれは、お店に限ったことではなく、おうちのごはんでもそうなのかもしれない。

 

そのおうちの、それぞれの、間違いないお味。

 

全然変わってなくてもいい、いつも似たり寄ったりでもいい。

 

それでも、そのおうちの間違いないお味が大切にされなきゃいけないのだ。

 

そう気が付いたら、いつものごはんを出す自分が誇らしく思えてきた。

 

そして、日々のごはんをもっとおいしくしようという気持ちになった。

 

人生の食事回数は、少なくもあり、無限の回数でもある。

 

齢を重ねている方は、残り有限な1回ずつの食事を大切にしたいと思う方もいるだろうし、まだまだ長生きするぞという方は、トータルで充実させればいいやという人もいるだろう。

 

ぶどうさんは、何が正解で何が間違いかなんてわからないから、体が喜ぶ食事を心がけていきたいな、と思う。

 

そして、贅沢という意味ではなく、素敵な人が提供している品質のいいものを買って、たまには夫においしいものを食べてもらいたいな、と思う。

 

それができる世界であるから、そんな日本に生きていられるから、ありがとうという気持ちで受け取って分かち合えれば、と思う。

 

おいしいものを食べられるのは生きているとき。

 

しっかり食べて、心を整え体を作って、心もからだも健やかに保つのは生きている人間の義務でも権利でもある。

 

一人一人が幸せであることで世界は平和になるのだという気持ちでみんなを応援し、自分もちゃっかりそれに乗っかって生きているぶどうであった。