こんにちは。
ぶどうさんです。
ご訪問ありがとうございます。
西の国は冷え込んでいます。
みなさまのお住まいの地域は、いかがですか。
温かいものが恋しくなりましたね。
今晩はたっぷりとお野菜を入れた汁物などはいかがですか。
しっかり食べて心と体を温めましょう。
健やかで素敵な一日となりますように。
本日あんちょこCDのお話です。
ピアノのレッスンで現状を直視せざるを得なかったぶどうさん。
実力も才能もないのはわかっているが、お師匠さんのおっしゃることさえわからないとは情けない。
打てば響くような脳みそは、持ち合わせていないらしい。
それは、加齢のせいなのか、もともとなのか。
まあしかし、始めちゃったのだからそこはあきらめるしかない。
ぼちぼち付き合っていかねばならないだろう。
一から楽譜を読み直して弾き直しなど面倒だが、とにかくやらねばならない。
時間がかかるなあと思いつつも一通り終わり、またトツトツとツェルニーを弾くことにした。
まずは、注意深く楽譜をみて、楽譜に書いてあることを守ること。
ぶどうさんは音楽の専門的な教育を受けていないため、それがどんなに重要なことかなんて想像していなかった。
音符の通りに弾けばいいと思っていたからだ。
楽譜は情報を立体的に組み立てて音楽にするための設計図のようだ。
そのために音の高低や長さ、言葉や記号で細かい指示がなされている。
作曲された時代によっては、先日のバッハの曲での失敗談でもわかる通りお約束的なものがあるらしい。
そして、小説や文章のように、行間を読むもの、でもあるようだ。
解析して咀嚼し消化し、自分の体の一部を使って音を奏でるなんて・・・音楽家やピアニストの人はすごいと思う。
うん、すごい。超人。
そんな超人類とは月とスッポンとはいえ、ピアノを弾くのだから、きちんと理解して極力いいものに仕上げなければ。
!?
いやいや、そんな考え方はおかしい。
超人と同じ楽譜で、同じピアノを弾けるのだから、(出来はともかく)ありがたくその恩恵を受けて音を楽しむべきである。
同じ権利があるなんて、素晴らしいじゃないか!
と、自身を鼓舞しつつ、さて、どうしようと考えた。
計算によるとツェルニー30番は、2年どころか3年はかかることに気が付いたからである。
そこで、あんちょこ登場である。
すっかり忘れていたのだが、以前レッスンを受けているときにツェルニーのCDを買ったことを思い出したのだ。
ピアノ教本シリーズというもので、40番を買った記憶があったのだ。
もしかしたら、30番もあるかも?と、淡い期待を寄せつつ、探してみた。
ピアノをやめた後、これらのCDは不要なので売ろうと思うCDを集めた箱に突っ込んだまま放置していたのだ。
放置していた、というのも先延ばし癖のあるぶどうさんらしいが、まさかピアノのレッスンを再開するなんて思いもよらなかったので、変な癖に助けられたことになる(笑)
期待はしていなかったが、まさかの30番がちんまりと箱詰めされていたときのうれしかったこと!
早速、これまたほとんど聞いてなくて捨てようとしていたポータブルCDプレイヤーで再生してみた。
ぶどうさんち、敗者復活戦のやりすぎだ。
そして、仰天した。
仰天ではない、目をひん剥いたといってもいい。
あまりの演奏の速さと正確さに、ため息の後絶望した。
このピアノ教本シリーズCDは、故田村宏先生の演奏である。
ツェルニー先生のあんちょこというよりは、立派な小品集とさえなっている。
改めて素敵な曲集だったのだと思うも、こうなるとは到底思えない。
あんちょこにお世話になるというより、返り討ちにあった気分である。
ずるしちゃ、ダメなのね。
そういえば、どなたかがツェルニー30番は、ツェルニー先生の教育本の集大成のひとつとか言っていたっけ。
まじめに頑張れば、ちょっとはマシな腕前になるかもしれない。
これさえ弾けないのに、古希にショパンのエチュードなんて笑わせる。
ということで、どっしり腰を据えて一からコツコツと再び努力することにしたぶどうであった。