こんにちは。

 

ぶどうさんです。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

朝晩冷えるようになりました。

 

就寝時、寒さを感じていませんか。

 

毛布や薄手の長袖パジャマの用意をなさってくださいね。

 

乾燥する季節にもなりましたので、喉を傷めないよう気を付けて、風邪を召されませんようお気を付けくださいませ。

 

素敵な一日をお過ごしください。

 

 

本日美意識のお話です。

 

 

ぼんやりマダムのぶどうさん。

 

50台に入ってから、いろいろ思うことがある。

 

それは、もっときれいになるということに意識を向ければよかったな、ということ。

 

やってみたいファッションや髪型、お化粧にチャレンジするとか、運動して筋肉をつけてシェイプするとか、食事に気を付けるとか。

 

最近の若い人は、熱心に化粧をし、美容機器を駆使し、エステに通い、高い服だけでなくリーズナブル価格の服もさりげなく取り入れながら上手におしゃれをする。

 

なかには美容整形する人も・・・。

 

美へのあくなき執念に、あっぱれと言わざるを得ない。

 

ぶどうさんは、そんな人のことを、すごいと思う。

 

意識が常に自分に向いていて、自分を大切にしているのだなと今頃わかった。

 

美容整形が自分を大切にしているのかというと賛否両論あるだろうが、悪いことではないと思う。

 

少なくとも、依存症にさえならなければ。

 

一方ぶどうさんといえば、洋服を買いに行くのが嫌いで、お化粧も面倒くさく、運動は子供の頃よりからきしで、やりもしなかった。

 

顔や体形に多少の不満はあったが、それは自分が怠惰なせいであり、さほど問題にしていなかった。

 

20歳すぎて初めて、自分がすごく太っていると気が付いたくらいだ!

 

それも、他人に指摘されてからである。

 

少々太っていることは幼少のころからだったので、下半身デブだな、と思っていたが、痩せなければならないほどだとは考えたこともなかったのだ。

 

他人はシビアである。

 

それを思い知ってなお、自分にむけた美意識が育たないままここまできた。

 

あまり必要がなかったのか、ぼんやりしすぎていたのか。

 

マダムを標榜しているわりにお粗末である。

 

 

ここ10年ほどで各家庭PC保有は当たり前、スマホが普及してインターネットに容易につながるようになった。

 

ネット社会では、個々人のきれいになることへの投資や努力や工夫が紹介され、メディアも巻き込んで瞬時に広まるようになった。

 

世に「きれいになることは正しい」ということが流布され、浸透したのである。

 

企業戦略もあるだろう。

 

しかし何より変わったのは、老いも若きも、男も女も子供も、「きれい」を求める人が大半を占め、肯定されていることだろう。

 

「きれい」が一大産業になり、世の中の基準になりつつあるといってもいい。

 

きれいは、正義。

 

きれいは、すごい。

 

きれいは、美しい。

 

人によってきれいは違えど、いや、そのほうが健全ではあるが、なんにせよそれが文化となっていっているのである。

 

それに反旗を翻してもよし、受け入れてもよし、それは各人が決めればいいことだ。

 

たぶん、きれいが圧勝だろうけど。

 

しかし、きれいは時とともに陰りが出てくる。

 

日本人の通念上「老いることは醜くなること」であり、その概念が容易に覆ることはまだないだろう。

 

残念ながら人は老いる。

 

老いてなお美しいと認める文化に成熟するまで、ぶどうさんの寿命はないだろう。

 

老いることは仕方がないが、せめてきれいであるように努めることは、自分にとっても、世の中にとっても良いことなのではないか。

 

もっと真剣に「きれい」を探し、美しいを体現したいと思い始めたぶどうであった。