おはようございます。
ぶどうさんです。
お久しぶりです。
お盆の期間中いかがお過ごしでしたか。
ご訪問ありがとうございます。
雨が続きますね。災害の警報も続いています。
不安な中ではありますが、みなさま気分よくお過ごしください。
本日時間についてのお話です。
オリンピックが終わり、長い長いお盆休みも終わった週明け月曜日。
やっと通常営業に戻ったぶどうさんち。
休み明けは、たまった家事で忙しいところではあるが、雨と、家電の故障!のためやることがない。
家電の故障とは・・・・突然掃除機が昇天してしまったことなのだが、これはまた今度!
この休みで改めて感じたのが、夫婦そろっての長い休日の過ごし方は難しいということ。
それは今までもずっと感じてきたことでもある。
休みは長いものばかりでなく、通常の土日のお休みもある。
たいてい半日がお買い物、あとはダラダラで終わってしまう。
お休みが充実した!ということは、滅多にない。
そして、お休みは非常に疲れる。
どこかに行ったわけではないけど、疲れる。
そのあと、また平常運転に戻るの繰り返し。
現在50台半ばのぶどうさん。
昨今60歳定年はなくなり、終わりの見えない時代になってきたが、15年、長くとも20年以内に夫が会社勤めをリタイアするだろう。
そうすると、もしかして毎日が日曜日になる。
・・・・一体どんな生活になるのだろう。
1週間程度で疲れているのに、これが死ぬまで続くなんて恐怖である。
巷で言う、定年後の生活を前もって想像しておかないと大変なことになるとはこのことか?
このまま漫然と暮らせば、深刻な事態になるのは間違いない。
焦ったぶどうさん。いつになく真剣に考えてみた。
そもそも、自分にとって休みとは何か。
ぶどうさんは専業主婦だけど、共働きだったり、独り身だったり、子供がいたりと人によって休みの意味合いが違う。
よって、今から将来のぶどうさんのように、夫と二人で暮らす人という狭い範囲で考えるのをご理解いただきたい。
ぶどうさんの思う休みの日とは、休養をとり、時間を自由に使え、やりたいことややらねばならぬことをまとめてやる日。
なのだが、実際は時間が自由にならず、やりたいことはできず、やらねばならぬことに振り回される日となる。
時間が自由にならないとは、起床・寝床時間が夫婦で合わず、やりたいことはあるけど夫がいるときはできないかしたくない、家事一切は休みがなくその他懸案事項や夫がやることにも付き合わされることで振り回され感があるのである。
夫が休みでゆっくり寝れるというのはありがたいが、一方でお休みの日も早めに起きて疲れた時横になれるほうが体にとっては都合がいい。
家事は仕方がないし、夫も手伝ってくれのはありがたいが、どこまでも部分的でありサポートどまりなのである。
主婦にとって、休みは休みではないというのが本音である。
夫からすれば、平日は懸命に働いて、お休みの日に手伝いやら買い物に付き合わされて自分のしたいことができないという不満もあると思う。
お互い、なんらかの不満があるのである。
本当は充実感が必要なのに、なぜか不足感。
今はこれでなんとかやっていってはいるが、これがリタイア後、老後~と続いていくと考えるとあまり健全なことではない。
なにがしかの対策が必要だ。
その対策として、世間では趣味だとかボランティアだとかが言われているが、どちらかというとそれよりも「時間の使い方」が大事なんじゃないかと思う。
その中身が、趣味だとか、ボランティアとかの活動だ。
誰しも24時間同じだけ時間を持っているが、すべてを自分のために使えるわけではない。
家族や関わる人と折り合いをつけながら暮らしている。
人とのかかわりは、意外にやっかいでもある。
そこで中身はともかく、まずは時間の振り分け方がうまくいけば満足度が高まるのではないだろうかと考えた。
つまり休みの日に、自分に使う時間を必ずどこかに入れるということ。
死別や離婚しない限り夫婦の時間は続く。
そばに誰かがいることで得られることは一人で生きるよりも多く、素敵なことだと思う。
まだまだ長く続く時間をより有効に楽しく、満足度高く保つことは、人生の質を高めてくれる。
そのためには、時間の振り分け方を考え直し、その中身を充実させていくことが大切だ。
お盆休み明けの、掃除機が壊れて荒れ果てた家のなかでブログを書きながら、これからを考えていこうと希望を抱くぶどうであった。
とりあえずは10日以上弾けてないピアノを弾くか・・・。