ミニマリストやシンプリストのブログや動画、片付け本や番組で、必ずと言っていいほど出てくるセリフ。
お客様用のモノは持たない。
すべて一軍でお気に入り。
自分にも、お客様にも同じものを使っていただく。
フムフム、なるほど。
そうすると、素敵なものばかりに囲まれつつも全体のモノは少なくかつきちんと手入れと管理がなされたモノと空間が維持されるのか!
と、思いはするのだけれど。
それはそれで抵抗があるのはぶどうさんだけであろうか。
ずっと以前の話である。
モノの少ない、ある方のお宅にお邪魔した。
同じ間取りのはずのそのお宅は、小さなお子さんがいるにもかかわらずすっきりとした空間が広がっていた。
ぶどうさんに比べて都会育ちで、世界を旅するのが好きなその方はおしゃれにもてなしてくれた。
その方は若いころ地震で大変な思いをしてからモノを持たないようにしていると説明してくれた。
さらに、郊外の大きな家より駅前の小さな家で便利に暮らしたいと思うので、引っ越しなどに柔軟に対応できるようモノは持たないとも言っていた。
今でいう、ミニマリスト的な人だったのであろう。
素晴らしい。
爪の垢を煎じてもらうべきであった。
その方が用意してくださった菓子器は、ミントンの大皿。
その昔はミントンが流行っており、百貨店にも置いてあった代物である。
「これ、普段にも使うのよ。お客様用の器は金輪際持たないことにしているの。」
そういいながらお菓子を置いてくださったのだけど・・・・・・。
たしかに普段から使っているようで、何気に傷つき擦れている。
よほど使い込んでいるのだろう。とても気にいっているのだろうけど・・・・。
なにやらモヤモヤしたものが心をよぎりつつ時間を過ごした。
今思えば見下されていたのか気の置けない人と思われていたのか、その方に確かめようがないし確かめる必要もないのではあるが、そのモヤモヤは今後の戒めとなった。
その戒めとは。
お招きするならお客様用のモノを用意するか、割り切って使い捨てにするか(これは味気ないが場合によってはあり)お客様用に自家用を出すにしても、せめてきれいなものを出すということ。
きれいなものがないなら、せめてナプキンなどを敷くなど工夫すること。
お招きくださったその方を批判しているわけではない。
使い込んだものがあるのは素晴らしいし、見倣いたい。
自分がおもてなしをするときにどうしたいかを、学習した出来事であったというだけのことだ。
その家には普段使いの使い込んだものしかないし(もしかしたら親御さんから譲り受けたものかもしれない)、当人はモノを増やす気がないのでその対応で全然問題ない。
お客様を招いておもてなしをするということを実行してくれたのだからありがたい。
ただ、ぶどうさんがお客様をもてなす場合それでは嫌だとおもったということ。
そういうわけで、それ以来ぶどうさんちにお越しくださる方にはできるだけきれいな食器を使っていただこうと思っている。
よって冒頭の、例のセリフ。
真に受けてはならない。
お招きするまでに少しでも時間があるなら、相手との関係性と、親しき中にも礼儀ありという言葉があるようにおもてなしに心を砕きたい。
使わないお客様用グッズを各種そろえて持つのは考えものだが、ツボを押さえてきれいなものを少しだけ用意しておくのは悪くないと思う。
とはいえ、ぶどうさんち、全然お客様はこない。
1年前の記事と志変わらず、現在も使っていないものをどんどん使っている真っ最中である。
家から使っていないものを追い出す作戦実行中ゆえ、お客様のことは考えられない。
そう!タイトル通り「お客様は来ない」家なのである。
お客の来ないままマダムグレープならぬマダムレーズンに化けぬよう、気をつけねばと思うぶどうであった。