こんにちは、ぶどうさんです。
前回の結論。
持っているモノをどんどん使って気が済んだら手放す。
新しいものを取り入れるにしても、拡大ではなく縮小方向で。
まったくもって当たり前で申し訳ない。
これがけちんぼで、もったいながりのぶどうさんに合ったやり方なのだから、この方向でやっていく。
数週間後、数年後、間違っていると思えば、また違う方法を探せばいい。
時間がたち実践が伴えば、知恵もつくだろうし片付けへの考えも変わってくるだろう。
片付けって、日々の暮らしの中にあり、それでいて過去の清算と未来への布石であるとぶどうさんは思う。
片づけているとき、今の時を使って過去のやり残しを帳尻合わせしているなとちょっぴりげんなりする。
そして片付いていると、今気分がいいし、未来の準備に取り掛かれていると嬉しくなる。
未来の自分を助けている気分にさえなる。
だから、片づけは生きる上で精神的にも現実的にもとても大切だと思う。
人生の目的にしてはいけないけれど、それなしではのちのち気まずい人生の閉じ方をすることになるのではと思う。
自分に合った方法がわからなければハウツー本や、片付け哲学やら〇〇魔法とかいろいろ指南書が出ている。
どれに乗っかってもいいから、まずはやってみてほしい。もちろんいいとこどりしても!
そして、自分に合った方法を見つけて日々の暮らし、営みの中に無理なくとりいれていってほしい。
それも、人生の早いうちに。
年を取ればとるほど、思い出は増え、ものも増え、手間が増える。
反比例して体力も気力も意欲も減る。
簡単なのは、してない人はとにかく今からスタート!挫折している人も今から再スタート!
放置すれば複雑化してくること必至。
ぶどうさんが片付けに目覚めたのは30代始めだった。
現代にあっては昭和的片付けと揶揄される、詰込み式の収納法を駆使して家の中は一見片付いていた。
そんな家に遊びに来たある人に「荷物が多いのね」と言って笑われたことから、あれれれれ?と自分を客観視するようになった。
言った当人のお宅に伺うと、なるほど確かにモノがない。
情けないことに、あれが初めて自分のモノの持ち方に疑問をもった瞬間だったといえるかもしれない。
けれど、ぶどうさんは今は通説となっている、「親から片付けを習ったことのない」→「お手本を知らない」人間に相当することに、その時は気づいていなかった。
振り返れば、ぶどうさんの母親は捨てられない人であり、片づけられない人だったからだ。
言っておくが、親のせいにしているわけではない。
大人になってできないことがあれば、学んですればいいだけのことだ。
学んでもできなければ、あきらめるか人に手伝ってもらうかすればいい。それだけのこと。
いろいろ試したり失敗したり、本を読んでやった気になったり(実際はなにもしてない)という道を歩いてきた。
20年近くもたかが片付けを地道にしている、けれど全然片付かないのはもう笑うしかない。
ただのアホである。
50歳を越えた現在、しかしもう悠長にはしていられない。
腹をくくってモノに片を付け、残りの人生を有意義に過ごしたいと切に願うようになってきた。
だからこそ、当たり前と笑われそうな前出の方法で頑張ろうと決意したのだ。
年齢が早ければ早いほど、片付けは日々の暮らしの中に溶け込み人生は有意義になると思う。
それは自分のため、大切な人のため、地域のため、日本のため、世界のためになるから。
だから皆さんもぜひ、今からスタートしてください。少しずつでも。
紙切れ一枚の処分でも、自分をほめながら、やり切りましょう。
レッツトライ!