相変らず家の片付けに苦しんでいるぶどうさん。

いい加減にしなはれと、どこからか怒号が飛んできそうだ。

 

何年かかっているのだろう。

かなりばかげた自分にうんざりだ。

 

仕事でもないのに、片付けを人生の目的にしてしまっている。

片付け本ばかり読んで全然実行していないから、こういうことになる。

 

まさに人生無駄遣い。お金も無駄遣い。

 

もともと捨てられない性格のぶどうさん。

それなのに、ついうっかりモノを買って増やしてしまう。

 

うっかりといっても。

そこそこ気に入ったり、とっても気に入ったりしたものを買うため捨てられない。

 

じゃあ前買ったモノを捨てれば?となるが、それも気に入って手に入れたもの。

簡単には手放せない。

 

そうしてどんどん物が増えていく。

 

もちろん意識してなるべく買わないことは実行しているし、気に入ったら考えに考えて買う。

 

これのどこが悪いのか。

 

やはり持っているのに、買い替えるタイミングでもないのに、もしくは本来は必要もないのにモノを買ってしまうところだろう。

 

それと気持ちを清算できないところだろうか。

 

そこでぶどうさんは考えた。

 

捨てられないなら、とことん気が済むまで使い、持ち続けようと。

そして気が済んでからサヨナラしようと。

 

そもそも、一生使い続けられるモノなどない。

自分の体でさえメンテナンスしなければ使えないのだもの、メンテナンスフリーで一生ものなんて、何があるというのか。

 

使えば古びてくるし、時代にそぐわないものになっていく。

そこそこ時間がたてば、使わずともモノは輝きを失い、生気を失っていく。

 

自分が年老いていくように、使われないモノも年を取っていく。

使われているモノが年を取るスピードよりゆっくりと、でも確実に薄汚れて年を取っていく。

その様は、気に入って手にしたモノたちだけに、悲しい気分になる。

 

それに気が付いてから、持っているモノを少しでも使い、気持が済んだら手放すことにした。

 

誰かもらってくれないかなとか、あわよくばお金にならないかなとか、二束三文でもごみにならずに済めばいいかなとか逡巡するが、それは時間の無駄であり、ぶどうさんの片付かない元凶でしかない。

 

そろそろ観念せねばなあ。

 

そういうことで、これからどんどん使ってなかったモノを使い、気が済んだら捨てようと決意した。

それがぶどうさんの性格に合った、モノの整理の仕方だと思うから。

 

捨てたくなかったら、損したくなかったら、そもそもモノを買わなきゃ、もしくは所有しなければよかったのだ。

人生で遅すぎる発見であった。

 

それでも手に入れたかったのだし、手に入れて金銭的損失を含め得ることも大きかったと納得するしかない。

お金の使い方としてそんなに間違ってはいないのかもしれないし、大いに間違っていたかもしれないし、それは今の時点ではわからない。

 

50越えてのやっとこさの決断。

もちろん新しいモノを購入することも少しは考えているが、これまでの拡大路線ではなく現状維持か縮小の方向にしようと決めている。

 

ぶどうさんが今持っているモノ全部にかかずらうには、もしかしたら一生は短すぎるかもしれない。

5年後くらいに見直す時が来るかもしれないが、今はこう結論付けておこう。

 

ぶどうさん、この方向でがんばります。

 

よろしくね。(誰に言ってる?)