もらったパンフレットを何気なく眺めたぶどうさん。
簡単な印刷の冊子には、食育やら健康の文字が。
食生活を改善し、野菜を沢山食べましょう、そしてみんな健康になりましょうとうたっている。
どうやら啓発のための冊子のようである。
配っていたのは、お母さん方という感じ。
食生活の改善にはぶどうさんも大賛成だ。
けれど、食育のコンセプトをラジオで聞き知り、少々首をかしげて以来、もやもやとしたものが付きまとう。
ぶどうさんの小さいころは、食育なんて言葉はなかった。
食育という言葉が妥当かどうか、ぶどうさんにはよくわからない。
食に関しては、家庭で教えなければわらかないし、身につかない。
その上で学校で教えるのも、自分で学ぶのもよし。
もし食に無関心に育ってしまったならば、自分の人生のコントロールが出来なくなるだろう。
親になったときに、子供に教えることも出来ない。
健全な食事が健全な体と心を作るともいえるので、食は大切であるが。
この頃の食の情報というのがマスコミ主導であり、何の根拠があるのか、基準はなんなのかははっきりしないのに何がしかの研究機関が発表したから効果があるとなると日本中が大騒ぎになる。
何かがいいといえばそれにみな飛びつき、ダイエットにはこうしたらいいという情報が山のようにあり、長寿の人の食生活は・・・とか、何かを取れば認知症になりにくいとか。
情報が出るたびに日本人は右往左往し、我先に試そうとし、飽きて又は効果が認められなくて忘れ去られていく。
そんな浮ついた情報よりは、しっかりと日々の生活の中でどんな食事をどのようにとるか、誰と取るかということを主眼にした食育推進のほうがずっとましではあるが、なんだろうこの違和感。
現代の雇用体系や夫婦共働き増加、家族体系に生活パターン、食卓への市販品の席巻やら外食のハードルの低さが昔とはかなり異なってきたにもかかわらず、昔ながらの食事をしましょうといっているところが変に感じる所以だろうか。
しかし、上記のことを言い訳にして食事をおざなりにするよりは、努力して家庭の食卓を、食事を改善しようという意気込みがお母さん方にあることはいいことにちがいない。
お母さん方のガッツに、日本の将来がかかっているといっても過言ではないのかもしれない。
お母さん方のがんばりが家族と日本、世界を救うに違いない。
にっぽんのおかあさんがた、ありがとう!