引越しが何ヶ月も続いているぶどうさん。
ええ加減にせーよ、と誰かが突っ込みを入れる気配を感じる・・・
が、そーんなことは一向構わず箱はこ生活に埋もれている。
ところで、今回の引越しで気がついたことがある。
現在40代後半のぶどうさんは、人生で幾度となく引越しをした。
全く記憶のない幼き頃から数えて・・・今のところ全人生で10回くらい?
おおよそ5年弱に一回引越しをしていることになる。
平均5年といっても短いサイクル長いサイクルいろいろあったわけで、しかも子供のころは親主導であるため物の数には入らない。
大人になって、自分でやる引越しというのは結婚してからのことなのだが、これは自分だけか夫と二人でやりとげたのでこれこそ引越しと呼べるのかもしれないが。
とにかく体力的に精神的に今回の引越しがきつかった。
それは体力がないせいもしくはものが多いせい?と自問自答していたが、どうやら自分だけではないということが親友の弁により発覚。
40代以降の引越しって、誰にとってもしんどいのかもしれないとぼんやりと思ったのである。
しんどい理由は、まず体力。
体が疲れてしまうのだ。
また夫婦とも腰痛持ちであるため、重いものをもつのをためらってしまう。
体だけではない。
判断力が非常に鈍くなってきているではないか。
捨てようか捨てまいか、ということでなく物事の手順や詰め方、箱の置き方、後片付けなどなど、引越しというものはたた箱につめて荷物を出せばいいだけでなく搬出搬入のときを考えてやらねばならない。
あれこれを立体的に考えながらやる作業というのが苦手になってきている自分に気がついた。
また、引越しはものだけでなく人との交渉の場でもある。
引越し業者とのやりとり、都合のつけ方、約束の取り付け方、連絡などがとても面倒に感じ憂鬱な気分になったのにも驚いた。
さらに、北国から西の国までは距離があり荷物到着までかなり時間がかかる。
そのための交通手段、宿泊先の手配などを、荷物の班出入のタイミングをはかってとらねばならない。
これが非常に難しい。
なぜならいつ引越しが終わるかわからないという不確かな状況下で飛行機やホテルの予約を取らねばならない。
これがかなり頭を悩ませることとなった。
荷物を出すまでに一山、荷物が届くまでに一山、荷物が届いてからまたまた一山・・・・
で、現在荷物が届いてから山越えてまだ中腹ぐらい。おいおい。
とにもかくにも荷物は残っているが、これですべて終了万々歳と思いきや、まだびっくりすることが残っていた。
引越しの度に手持ちのものが新居の規格にまったく合わないことで苦労することはわかっていたが、規格どころか間取りが変わることで生活の仕方がかわってしまったことにとまどってしまったのだ。
そういえば、最後まで間取りは決まらなかった。
そして家具の配置も。
決まらなかったのに、しまいにはもうどうでもよくなって適当に決め、荷物搬入してしまったのだ。
荷物を搬入し、ものを配置したあとも混乱は続いた。
なんとかものを配置し、これでよかろうと生活を始めるも、以前の北国での収納場所や配置場所を無意識に体が覚えていて、なぜかあらぬ方向に顔や体が向いてしまう。
そして、自分が何をやっていたか忘れてしまう・・・・
ボーゼン( °д°)
新しい家に心も体も頭も対応するのに、それなりに時間がかかってしまう自分に驚いてしまった。
今までこんなことはなかったのに。
今回のことで今後さらに年をとってからの引越しが思いやられることに気がついてしまった。
そして、年寄りの引越しが認知症を悪化させる理由がなんだかわかる気がした。
40代でこれだもの。
お年寄りだったら、新しい環境で新しい間取りの新しいものの配置の住環境に対応するのに時間がかかるのは想像に難くない。
ましてや、少々空間認識の機能がおちていると、新しい環境に不安が増しているだけにかなり混乱が生じるのではないかと思われる。
年をとってからの引越しは、人によるだろうが、かなりリスキーと想像されたのだ。
現在賃貸生活のぶどうさん。
一生賃貸に住む予定はなく、いずれ持ち家に住むつもりだ。
だが夫が在職中、退職後、そして老後とステージにあわせて住居を変える予定であり、すくなくとも三回はさらに引越しをする予定である。
この予定が「予定通り」にいくかどうか、はぶどうさん夫婦の心と体の健康度によるのかもしれない。
しかし、たとえ健康でもそれなりに覚悟を決めて、ふんどし締めておかねばなあと学んだ、今回の引越しであった。