数ヶ月前引越しをしたぶどうさん。


引越しをするということは、市内の引越しじゃない限りは住んでいる自治体が変るということ。


自治体が変ればもろもろの事情が違ってくる。


当然なのだが所変れば、そこにあわせるしかない。


あわせるところは細かく言えばかぎりないが、引越しそうそう困ったことがごみ事情だった。


ごみの分別が面倒なのだ。


昨今どの自治体でもごみの分別方法が細分化され、ごみ袋が有料化されている。

ごみ袋だけ有料ならまだいいが、なかにはごみの収集にもお金のかかる地域があるとか。


ごみは、捨てるときにもお金のかかる時代になったのだ。


ぶどうさんの住み始めた自治体もごみ袋は有料の方向にある。

有料化されるのは時間の問題だろう。


現在は市民のチャレンジ期間というか猶予期間であるのか、分別自体は細かいものの、袋の種類や回収に際してさほどうるさくはなく、何でももっていってくれる。


自治体参加初心者としては、少々の間違いには目を瞑ってくれるので非常にありがたいことと感謝している。



ところで以前住んでいたところは指定ごみ袋はあったものの、何で出してもよかった。

ごみの分別はゆるめで、資源ごみと不燃ごみの他はなく、基本可燃ごみに何でも捨てていた。


非常に楽チン。


ところが、今の自治体は何でも可燃ごみに捨てていいというわけにはいかない。

プラスティックマークのごみや、紙類においてはちいさなものまで分けて捨てねばならぬのだ。



多少のことには目を瞑ってくれるので、今のところ出来る範囲で分別しているものの、ここに来て段々と疑問が大きくなってきた。


紙類はいい。

汚れたりニオイのついたもの以外は、溜めて捨てたってまったく問題がないから。

回収が2週間おきで、すごく溜まるのが困るところではあるが、なんとか我慢できる。


しかし、プラスティックマークのごみ、これが大問題なのだ。

分別して気がついたのだが、プラスティックごみは意外に溜まる。

ぎゅっと口を縛れば小さくはなるが、自分がこんなにプラスティックごみをだしているとはと、びっくりしたくらいだ。


おまけに収集日が決まっていて可燃ごみほどしょっちゅうは来ない。きれいにしないと、恐ろしいことになる。


このプラスティックマークのごみの回収は、「基本プラマークつきのごみだけを捨てること」となっている。

このプラマークのごみは、洗って乾かして捨てねばならない。


野菜や食べ物が入っていた袋、弁当の容器など、すべて洗って乾かすのだ。


え?当たり前って?資源になるんだからって?


そう、当たり前と思っていたのでそうしてきたのだが、まじめにやればやるほど、どうもおかしいなあと思わずにいられなくなってきたのだ。


なぜおかしいかというと、そのまま可燃ごみとして捨てられれば、よっぽど汚れていない限り洗わず捨てることができる袋類を、なんで洗剤使って水使って洗って干さねばならないのだろう。



そんなけちなこというなよと、ぶどうさんも以前は思っていたが水を汚すことのほうがおかしいのではないだろうか。


水は大事な資源ではないのだろうか?


水そのものがまず大事だし、水道水にするために水をきれいにするのだって相応の設備と薬剤や人件費などコストが必要である。


節水を謳いながら水を無駄遣いさせるプラごみ分別&リサイクルって、一体なんなのだろう。


一応洗って干して、という市からの提案なので今はぶどうさんは素直にそうしているが、それは市が言うからだけではない。


なんでもかんでも洗って干さないと、プラごみの日まで汚くて仕方ないのである。

さらにこれから気温が上がり続ける季節である。

「洗ってもプラごみからなんとなくニオイが出るのでゴミ箱のいいのが必要」なんて巷ではいわれているようなのである。


リサイクルのためのもののために新たにゴミ箱を買う→つまりゴミ箱がリサイクルのために飛ぶように熟れる→そうやって購入された市民のゴミ箱も将来無駄なごみ・・・・・・


一体何やってんの?ってことになる。



さらに弁当や惣菜の容器は油でべっとりしていて、そのままでは落ちない。

紙やボロ布を使いふき取って、洗剤を使って洗うのである。

その紙やボロ布は可燃ごみとして増え、汚れているので生ごみいれに入れなければならない。


より大きいごみ箱が必要なうえ布も紙もリサイクルできたかもしれないのに・・・・


?ごみ増えてるよ?


ついでにいうと、この頃の製品には袋やシールにまでプラマークがついている。

はっきりいってこれは無駄である。

消費者にとってリサイクルの指標となって便利ではあるが、リサイクルしなけりゃ、無駄な印刷やインクなんか要らないのである。


まあそういうと、指定ごみ袋の怪ってものあるけどね・・・・あれも作る過程で立派にエネルギーの無駄遣いしているし。

袋に印刷なんかいらないし、指定以外の袋を使えなくしてごみを増やしているんだから、なにやってんだか。


リサイクルという名の勘違いエコ?エゴ?活動が、自治体主導のもと行われているのではと、思われてならないのである。

それともなにかの陰謀なのではなかろうか。。。。とかんぐってしまう。



そういえば水道は大抵は自治体が運営しているので、その収入は自治体に入ることになる。

ごみのリサイクルという名目で市民に水を使わせて収入アップを狙っているのだろうか?


なーんてね。


そんなことはないだろうが、プラマークのごみをリサイクルするということ自体、燃料使ってリサイクルするのだし、どこまで元が取れるのだろう。

そもそもエネルギー的に採算があうのだろうか。


リサイクルそのものが悪いからやめろという考えはぶどうさんは持っていない。

少ないエネルギーで再利用し、繰り返し使えるなんて素敵なことだ。


しかし客観的にみたときにこれはおかしいだろうということが、エコ(となんとなく思えるから)という理由でまかり通ることもあるのではないだろうか。



これからはなにごとも各人がしっかりと物事を見極め、自治体にさえ意思表示をすることがますます大事になってくるような気がする。


そしておかしいことに気がつく感性を磨くこと。


ぶどうさんは、もうしばらく「洗って干して」のエゴ活動をやってみるつもりである。

この方法は本当にエコではないと気がついたときは、なんらかのアクションを起こす必要があるだろう。


妥当な、理論的な説明をそれまでに考え出せるのか・・・


そこのところは右脳派のぶどさんには怪しいが、市民としてやるべきことを粛々とやっていくつもりである。