思う。思うんだよ。そう思いますなんだよ。
この「思う」って一体なんだろうね?
思うとは、「心の働き」って辞書には書いてある。
心がついているんだから心に関係ある言葉であるのはわかる。
この日本語の「思う」は実にさまざまな言葉を網羅している。
これ1つでうまく話がまとまることば、でもある。
最近に限らず、もうだいぶ前から「思います」という言葉尻でしめる人が増えた。
「そうしたいと思います」「~しようと思います」
そうします、しますではなく、~と思います。
思いますという言葉をつけることで断定を避ける、婉曲に表現する、むき出しの表現や感情を避ける意味合いがあるからだろう。
断定することが怖いのだろうか。それとも断定は摩擦を生むのか。
人と人が、感情と感情が、ぶつかり合うのはスマートではないということか。
潔さを捨てスマートさを取り繕うことが、現代的なことなのだろうか。
そんなことはない。
どこでもかしこでも「思う」を使うのは怠慢であり、知恵と勇気が足りないだけなのだ。
だからこそ、昭和の女、4つの時代を駆けるマダムぶどうはこう決めた。
「思う」は、適切な場面で正しい用法用量で用い、むやみやたらに乱用しない。
そしていたずらに他人いや、自分の心を偽らないことをここに誓う。
日頃から違和感を抱きつつ見逃してきたことば、「思う」。
40代半ば、話ことばの思う頼みに決別し、語尾に思うをつける癖をここで撲滅しようと決めたぶどうであった。