人の話をまるで聞いてないぶどうさん。

これは、小さい頃からである。


末っ子人生は長いので、観察はしている。
同じ轍は踏まないように、小賢しくはある。


しかし、なぜか話を聞いていない。


いやいや、聞いてはいるのだがしゃべるほうがもっと忙しいのだ。
口でしゃべるだけでなく脳内会話が異常に多くもある。


で、やっぱし話を聞いてない。


話を聞いてないなあ、ちゃんと人の話に耳を貸さねばなあと常々思う。
それなのに、気がつくとしゃべり続けるぶどうさん。


ハッとしたときは後の祭り、人と別れた後でしゃべりすぎたと落ち込むことにもなる。
反省しても、同じことの繰り返し。


ばか者である。


人の話に耳を傾けるのは、他人のためじゃない。
結局は自分のためでしかない。


自分のためといっても、誰かにいい人と思われたいとか、気に入られたいからとか、誰かの心を軽くしたいからとか、まわりまわって・・・の、そういうことでもない。


いい人だ、できた人だと他人が評するのはその人の勝手でぶどうさんには関係ないし、癒しは自分で起こすものであって他人が施すものではない。


では自分のためってどういうこと?


まずは人の話を聞けば、ヒントをもらえる。
聞いただけでは情報だが、それをうまく整理し組み合わせれば人生に役立つし、危険を回避できることもあるかもしれない。


また自分の置かれた状況を冷静に観察できる。
それによって回り道しているのか、まっすぐ進めているかを知ることも出来る。


人の話を襟を正して聞くことは、大事なお作法でもある。
礼儀のない人間でありたいかというと、否。礼儀に適っていることがマダムぶどうなのである。

なりたい自分、ありたい自分であるために、人の話を聞く姿勢を持つことが大切なのだ。


・・・でもやっぱり聞いてないよね?


どこからかそんな声が聞こえてくるが、しつこくしつこく、「人の話を聞けーーーーー」といわれれば、さすがのぶどうさんでも気がつかないわけにはかない。


たまたま来た宗教の勧誘の人にまで「人の話を聞け」というメッセージをもらってしまったからには、この言葉を認めないわけにはいかない。


「人の話を聞け。」


なーんでこんなことをずっと言われるんだろうと頭をひねって来たこの頃。


理由は簡単、「人の話を聞け攻撃」をぶどうさん自身が他の人にしてたのだねえ。


はい、ぶどうさん、口数を減らし人の話を聞きます。
脳内会話も減らします。
ついでに鼻歌もやめます。


これからはちゃんと人の話を聞きます!と宣言するぶどうであった。