断捨離には挫折したけど、未来の引越しに向けて今月から片付けをはじめたぶどうさん。
偉そうに言ってるが・・・今月まだ2日めだぞ?
ふと思い立ち、整理箪笥の片付けをした。
整理箪笥には、たたんで入れるシャツやカーディガン、パンツ類、普段着を入れている。
片付けの基本は全部引っ張り出すことなのだが、面倒くさがり屋のぶどうさんは箪笥1段分を引っ張り出してそこだけを片付けるのが常。
洋服を買いにいくのが苦手なうえ、ここ北国には適当な洋服屋さんはない。
ユニ〇ロさえもないのだから、洋服は減りこそすれ増えることはない。
よって箪笥はかなり空いている。
空いているが、スカスカほどでもない。
なぜなら、買えないので(買いにいきたくない?)もう着ないかなーと思うものをとっているし、ちょっぴり穴の開いたのやら、しょたれた服類も、ここを出るのがいつになるのかわからないので、怖くて捨てられないからだ。
・・・捨てたい。
・・・・・・捨てたい。
ここを出ていくとき、全部捨てたい。
と常に不完全燃焼をしつつ、しょたれた服を着る。
これがいかに精神衛生上悪いか。
わかっちゃいるものの、やめられなかった。
何度も箪笥を開けては、しめる日々。
別の意味で搾りに搾られた、アイテム達が並んでいる箪笥。
ところが。
ふと思い立ち、この冬使わなかったレッグウォーマーを捨てるついでにエプロンの見直しをしてみた。
今使っているエプロンは、洗っては使いをくりかえした、デニムのエプロン。
竹内まりやさんの歌じゃないが、デニムの青が褪せていっているものの、全く味わいは増していない。
薄っぺらい人生である。たはー。
幸いデニムなので、ごぼうや果物の汁がついても目立ったしみはない。
変色シミによる汚い感、というものもない。
穴があいているわけじゃないし、色が褪せただけなのだが、古びた感じは否めない。
こういうとき、いつものぶどうさんなら、「いざ引越しとなれば汚れるんだから、そのときにポイしよう」として、とっておく。
それを、やめることにした。
なぜなら、エプロンはまだ他にもあるからだ。
使い古したデニムのエプロンは、実は2枚組で買ったもので、未使用品がもう1つあったのだ。
未使用のまま5年以上・・・?
うん、それくらいは経っている。
使ってないから新品そのもの。
白や薄色ならいざしらず、デニムの場合は箪笥に入れておけば褪せることはない。
古びることがないので、まあいいやと見逃していた・・といえばそこまでなのだけど、とにかくこれを思い切って使うことにした。(←思い切ってってアンタ・・・)
すると、なんだか気分がいい。
新しいもの(実際は5年経過)を身につけることのなんと楽しいことよ。
これがまさに買い立てであれば、より楽しいだろうに。
いい気分に浸って、鏡を見て驚いたぶどうさん。
着ている服は同じでも、顔も髪型も同じでも、エプロンが新しくなっただけでちょっぴり若返った雰囲気になっている。
しょたれたエプロンでは所帯じみていたのに、形は同じでも色が濃く、ピシッとアイロンのかかったエプロンだと明るい上に清潔感まで出ている。
身につけるものの雰囲気や質、新しさなどが、着る人に与える影響とはものすごいものだと初めて知ることになったのである。
たかがエプロンなのに。
着ているものの一部だっていうのに。
ちゃんとした感を演出しているではないか。
これが、服装全体、髪型、姿勢に及べばどういうことになるのだろう。
今まで、外見を気にすることなく、身につけるものを気にすることなく、容姿に頓着のなかったぶどうさんは、この瞬間、猛烈に後悔と反省をすることになった。
人は見た目じゃないとはいうけど、見た目は大事である。
他者に不快をあたえないということ以上に、本人への大いなる報酬となることを意味するなど思いもよらなかった。
そんなこと、40年以上ぜ~~んぜん知らなかったぶどうさん。
無知にもほどがある。
今後は反省して、まずは外見をよくする努力をしようと、古いエプロンを捨てることから始めたぶどうであった。