親友や友達と呼べる人が極端に少ないぶどうさん。


幼い頃より頑固で偏屈な性格ゆえ、広く浅くいろいろな人と満遍なく上手に付き合っていくことは出来ない。


幼馴染や学友は心の財産でなにものにも変えがたい貴重な存在なのだろうが、ぶどうさんの場合、ものすごく密接に育った特定の幼馴染というものはない。


どちらかというと、つかず離れず・・というよりはほそーーーーくながーーーーーく、まさに極細糸で、限られたおさな友達や学友と繋がっている状態。


ま。つまり世間でいう友達はいないってところだろうか。

友達がいなくても、ここまで生きれるものである。


学生諸君よ。

親友がいないとか、友達がいないとか、悩むことなんてなんもないのである。


一方で、社会にでてから、結婚してから出来た友達もいる。


殆どは長く続いていないが、それはぶどうさんの不徳の致すところだろう。


成人後出来た友達は、同じ会社にいるからとか似たような環境にいるから知り合い、知人よりは密接な関係ではあるものの、その枠から出れば自然解消していく方向になっていく。

友達であったのかどうか・・・多分そのときは友達だったのだろう。


それはそれでいいと思う。

いつでも、どこかで会えば笑顔で話せるきがするし、そういう意味では今も友達かもしれない。


今ぶどうさんには、友達と呼べる人は片手分もいない。

少ないけど、大事な人たち。


本当に困ったとき力を貸してくれ、声をかけてくれるひと。

何もないときにふと心によぎり、息災を案じたり幸せを祈りたくなる人。


そういう存在に助けられ、愛し愛され、ものやお金じゃない、幸せを分かち合えるって素敵なことだ。


ともだちって、いいな。素直にそう思う。

少ないけれど、自分で選んだ友達。


選ばれる自分とか、選んでもらおうとして得た友達ではなく、選んだ友達。


そんな人たちがいることが誇らしい。


誤解を恐れずにいえば、ともだちは選ぶものだ。

決して傲慢な気持ちから言っているのではない。


友達は、選んで捨てるものではなく縁あって結ばれ、関係が終わればなはれていくもの。

そのなかには、ポイントポイントで一生にわたり影響を与え合い、支えあう人が含まれている。

そういうともだちを意識し、選ぶことは大切なことだ。


友達がいないから友達が欲しいとか、誰でもいいから友達と呼び合う仲になり仮初めの安心の中にいて、自分を、自分の人生を安売りしたりしてはいけない。


だからぶどうさんは、ともだちをみてちょっと自分が誇らしい。

自分が選んだ友達が素晴らしい人であればあるほど、とても嬉しい気持ちになる。


それが、ぶどうさんの今の気持ち。


ともだちって、素晴らしい。


心の友よ、ありがとう。


ばばあになっても前向きに生き、ともに前進していこうねとつぶやくぶどうであった。