最近本を読んだ後・・・といっても漫画だが、頭をひねりっぱなしのぶどうさん。


本の内容がわかるような、わからないような、なんとも微妙な感じで理解に苦しんでいる。


わからないなら自分にないことなのだし、理解したり深入りしなくてもいいんじゃない?と身近な人は言うのだが、なんだかこう、違和感というか一体なんだろうという興味が尽きない。


興味。


という言葉で片付けては、当事者や問題に遭遇している人に大変失礼極まりないのだが、これは現実なのだろうかと疑いたくなってしまうのだ。

(作者が嘘を書いているかもしれないというわけではありません;念のため)


問題の本の題名は、田房永子さんの「母がしんどい」。


母親ネタ、というので興味があり借りたものだ。


親はありがたいものであるとはいえ、娘であれば、母親に多少は悩まされた経験をもつかたが多いと思う。


ぶどうさんもその一人。


けれど、迷惑をかけられた、とかなじられた、とか暴力をふるわれたとか・・・そういったいわゆる虐待のようなことは全くない。


全くないが、ぶどうさんのお母さんの困ったことは変なことで干渉する一方で肝心なところでは突き放すという、子供心にはきつい面があった。


後で考えてみれば、干渉はさておいて、突き放したのは自分の責任を自覚させる意図だったのかなという気がする。

おかげで「いつでもいつまでも親を頼れるのだ」という甘い期待を全く持たずに生きられるようになって、よかったと思う。


母にはいろいろと、無言のうちにさえも教えてもらった。

きつい態度や言葉だなあと思ったこともあったが、今考えてみれば当たり前のことだし、もしそれを小さい頃にいってくれる人がいなかったら、ぶどうさんはさらにあんぽんたんになっていただろう。


親はありがたいものである。


結局親というものは、社会性を身につけさせ、子供を自立させ、自分の足で歩いていけるようにするというのが役目であるだけで、保護したり教育したりするのは幼い頃だけでいいはずだ。


しかし、今回読んだ本はどうにも違う。


どう考えても、この本のお母さんは、病気だ。

けれど作中では、このお母さんが何の病気かということには触れてない。

あくまでも著者の生い立ちと家族とくに母親との関係が中心で、その影響で似たような人間関係を選びとり、あるときそこから逃れて結婚し今に至る話だ。


ちょっとはしょりすぎだが、とにかくこういう親子関係、人間関係があるのかという驚きの話なのだ。


レビューを捜してみると、もっと驚いたことに「まるで自分の話のよう」というものが散見される。

ぶっ飛んだ話かと思いきや、読む人は自分と重ねて読んでいるのがわかる。


ぶどうさんとしては、作者自身も気になるものの、もっと気になるのがお母さんのほうだ。

このお母さんの病気とは一体なんだろう。(作中では病気であるという記述はない)


あちこち調べてみるが、意見は大体が共依存、人格障害、支配拘束型・・・などのようで、このお母さんがやっていることは自覚していない「虐待」であると断じているものもあった。


恐らくおかあさん本人は自分が病気であるとは思っていないだろうし、本当に病気なのかどうか、そこのところはぶどうさんにはわからない。


作者自身は、自分の親子関係が異常なものだとは気がついていなかったようだし、兄弟がいれば比較する機会がもてたかもしれないのに一人っ子なため、なお置かれている状況をわかりにくくさせていたのだろう。


それにしても。

こういう親子関係、人間関係があったのかと驚いたが、共感する人がいることにもっと驚いた。

これは特異な話ではないらしい。


家庭とは密室でもある。

子供のころはだれも、他の家のことなど知りようはない。基準が何かなんて、ありもしない。


遊びに行った友達の家で、成長して、結婚して相手の家庭をしって、ギャップに驚く人も多いだろう。

自分の家の常識は他人の家の非常識ってことだって十分ありうることだ。


改めて家庭ってなんだろう、親ってなんだろうと考えさせられた。

以前言われていた毒親というものは現実にいるのかと、なんとも悲しい気持ちになってしまったぶどうであった。