サラリーマン家庭のぶどうさんち。
社内で同じ職場の方のお通夜やお葬式の知らせがあると、夫から電話が入る。
そして、「〇日は御通夜、礼服を用意して」と短く指令が下る。
短い指令の中には、礼服の用意だけではなく、白のシャツ、黒の靴下、香典袋、袱紗、お金、お数珠の用意などが言外に含まれている。
お葬式が離れた場所であれば弔電を打って、ということもあるし、職場でお金を預けてまとめて香典にしてもらうこともある。
夫の礼服を作ったのは、もう随分前になる。
多分10年以上前だ。
礼服には流行り廃りも多少はあろうが、友人や同僚が結婚するような若い時期以外頻繁に着るものではないから、そうそう買い換えるものではない。
強いて言えば10年の間に体型が変ると買い換えることになるのだろうが、こういった礼服はそうしたことを見越してか、スラックスにアジャスターがついていて、多少の変動には対応できるようになっている。
夫が礼服を着たのは一体何度だろうか。それでも年に数回も着ることはない。
幸い体型は殆ど変っていないし、お葬式や結婚式で誰かの礼服が多少変であってもそれをとやかく言う人も記憶にとどめる人もいないだろうから、10年以上前のものでも全く問題はない。
しかし、問題はぶどうさんである。
ぶどうさん、礼服を持っていない。
厳密に言うと独身時代、もう20年以上前にオーダーして作った礼服はある。
20代の、かわいい礼服。
サイズは・・・・結婚後すぐさまオーバーしたし、幸い一度も着ることはなかった。
専業主婦だから公の場に行くことはないし、女性の場合は親族のお葬式以外であれば黒の上下にすれば形になるので、それで間に合わせたこともある。
おかげで普段は着もしない黒のスカートやブラウスが、箪笥に夏冬分ぶら下がっている。
それらの衣服も、もう10年は着ていない。
バラバラにでも着れない事はないが、着る理由はないし、さりとてあっさりと捨てられない。
なにしろ、こういったことは突発的に起こることであり、自分ではコントロール不可能だからだ。
なにぶん北国住まいで、実家とは遠くはなれ親戚とも友達ともなんだか疎遠になってしまっている。
すぐさまお葬式などに出ることは、ないと言えばない。
だから捨てて買い直してもよさそうである。
幸せなことにぶどうさんの両親は健在だ。
礼服を買ってしまうとかえって不幸を呼びそうだと、兄は礼服を買わないと公言さえしていた。
今どうしているか知らんが・・・・
80を越えた両親は、それぞれ病気を抱えながらも遠い故郷で2人で自立して生活している。
まだまだ元気で長生きしてほしいと勝手なことをおもいつつ、それがいつまで続くのだろうかと心に不安がよぎる。
希望としては、今すぐ必要でもない(と思いたい)礼服。
現実としては今すぐ必要となったら、ないと困る礼服。
なんにせよ、いい年の大人なんだから体にあった礼服をひとつは持っておかなきゃならないのだろう。
近いうちに、何とかしないといけない案件ではある。
若かりし頃の失敗を省みて、ベーシックなデザインの、年代を問わないものを1つ、あたってみることにしよう。
さすれば・・・・・・やっぱり一サイズ大き目のものを買っといたほうがいいのだろうかね・・・・